第4章 ~2011年から2020年までの10年間ボーダレス化、多様化、高品質化へ、そしてインバウンド需要――その⑤(この章は全体5本)コラム「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」~エンターテインメント発想で繁盛現象を生み出す16.5坪の店に行列2時間、月商1900万円2011年9月、東京・新橋に「俺のイタリアン」がオープンした。しばらくの間は注目されていなかったが、その年の暮が近づくにつれて、行列が絶えない店になった。ここで並んでいる人たちがSNSで盛んに発信するようになった。行列は「2時間」が当たり前であった。しかしながら実際に2時間並んでみて、同店の料理を目の前にすると、2時間行列の苦労が一気に飛んでいってしまう。「俺のイタリアン」は、お客に行列に並んでもらうことからして「レジャーとしての外食」を演出していた。同店は16.5坪で、最初は苦戦したというが、ピーク時には月商で1900万円を記録したことがある。何が、それほどの魅力となっていたのか。それは、ずばり「安い」こと。しかも、これまでは高級レストランでしかありえなかったものが、2分の1ほどの価格で食べられるのである。具体的にはこうだ。・「田舎パテ」480円・「トリュフと温泉卵のポテトサラダ」880円・「ピッツアマルゲリータ」580円・「トリュフとフォアグラのリゾット」1100円・「オマール海老とトリュフのリゾット」980円・「フォアグラのポアレ 林檎を使ったスタイルで」980円……料理をつくっているのは元星付きレストランのシェフたち。店頭に彼等のキャリアを示した写真付きのポスターを掲げている。そこで料理のクオリティはしっかりとしている。ただし、同店は「立って食べる」ことが条件となっていた。元星付きレストランのシェフがつくる料理を、「相場価格の2分の1で食べることができる」ことを納得させる要因として、「立って食べる」ことを条件とした、ということだ。料理人にとって屈辱的な想いを払拭させるこのアイデアを考えたのは「ブックオフ」の創始者で、飲食業を営んでいた坂本孝氏である。坂本氏は「画期的なレストラン」を立ち上げようと考えて、その立ち上げメンバーとともに、この業態設計を画策していた。そこで、このような現象に気づいた。それは、不景気だと言われながらも繁盛している飲食店は「立ち飲み居酒屋」と「星付きシェフのレストラン」であるということ。そこで、「この両方をくっつけてしまおう」というアイデアが生まれた。そして坂本氏は、修業歴が華やかで、著名な高級レストランのシェフやスーシェフをスカウトして、それぞれのシェフがつくり出すクオリティの高い料理と、驚くような価格の低さのギャップをアピールすることにした。「俺の~」でこのような食事をしても客単価が4000円を超えることはない。フードの原価率は90%近く、中には100%を超えるメニューもあることもアピールしていた。それでも利益を出すことができるのは、「立って食べる」つまり「お客を詰め込んで食事をしてもらう」ことで生まれる高い坪効率と、粗利益が高いフードメニューやワインのおすすめによる粗利ミックスである。これは経営技術の産物である。しかしながら、このような売り方は坂本氏が必要とする一流レストランのシェフにとっては、当初屈辱的なことであったらしい。しかしながら、坂本氏はスカウトした料理人たちのこの屈辱的な思いを払拭させるために自分が理想としている店に連れていった。その象徴となった店は、東京・勝どきにある「かねます」だった。同店では、ウニ、牛刺し、フグの白子、エイヒレなどを使用した一品料理を提供し、「立って食べる」スタイルで、客単価4000円程度である。16時オープンであるが、オープン前にすでに行列ができていて、それ以降はパンパンの繁盛状態が続く。坂本氏に連れて来られたシェフたちは、この店の、立ち食いではあるが、お客を強烈に引き付けている様子を目の当たりにすることによって、「こんなお店をやってみたい」という想いを坂本氏に訴えるようになったという。「俺の~」流の求心力で料理人を獲得筆者は出版社の商業界(いまはない)に在籍していたとき、友人からの紹介がきっかけでこの書籍をプロデュースすることができた。書籍のタイトルは『俺のイタリアン、俺のフレンチ~ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方』である。坂本氏は稲盛和夫氏の門下生であったことから、書籍の帯に稲盛氏の推薦文を掲載したことで「経営書」としてたちまち注目されるようになった。2013年の4月に発売を開始して3年間で12刷、計4万部を売った。書籍の収録をしていた当時の、私にとってとても印象深かった体験を述べておきたい。書籍づくりが佳境に入った2013年の1月、私は同社の決起集会に招かれた。場所は銀座にある質素な宴会場。会場に集まった人たちは一見して接客や調理の世界のベテランと分かるような風体で約50人いた。彼らの表情には「新しいことを始めるのだ」という輝きがあった。決起集会のプログラムは、各人の決意表明である。それぞれ著名なレストランで活躍をしていたという料理人、フロアリーダー、ソムリエ約10人が、次々と登壇し、坂本社長の元、新しいビジネスにチャレンジできる喜びを述べていった。最後に、立ち上げメンバーの一人がこう語った。「楽をしながら素晴らしい料理人として大成している人なんていません。今やっていることが大変であればあるほど、将来の蓄積になると信じています。一人でも多くの仲間にそう思っていただけるように、理念が共有できる組織を作り上げることができるのであれば、喜んで人生を捧げます」この人の次に、この集会を締める立場で壇上に上がったもう一人の立ち上げメンバーはこう語った。「ならば、私も地獄の果てまでもお付き合いします」そして「将来、株式を公開して大きな夢をつかみ取ろう」と訴えかけて、各人がまた今日も長い行列ができているはずの各店に赴いて行ったのである。私はこの決起集会に、求心力のつくり方の一つを見た。大型化することで、新しいエンターテインメント空間へその後「俺の~」では、イタリアンやフレンチに留まらず、焼き鳥、焼き肉、そば、おでんという具合に料理ジャンルを広げていった。2014年に入ると「俺のフレンチ・イタリアンAOYAMA」や、「俺の揚子江」のように70坪クラスの大型店もオープンした。厨房面積が大きく取れるようになったことから大量調理機器を導入できるようになり、数量限定ではなく、フルにしかも速く提供できるようになった。収容人数も100人を超えることからウエーティングも短くなり、結果、大型化することによって顧客満足度が上がっていったようだ。同時に、店内でジャズライブが定番化するようになった。当初は、狭い店で坪効率を上げるという業態であったが、ジャズライブによって「俺の~」ならではの新しいエンターテイメント空間を醸し出すようになった。 ――次回、4月3日に公開。