『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について綴る。奇跡の業態「俺の~」の発祥と継承者が描く新たな成長の道創業者・坂本孝氏の「人を引き付ける力」前編(この連載は計2回)2011年9月、新橋にいまだかつてない斬新なお店がオープンした。店名は「俺のイタリアン」。オープンした当初は目立った動きはなかったが、10月、11月と日増しに店頭に長い行列が出来上がっていった。このお店は「1時間待ち」が当たり前になった。同店の何が斬新なのか。それは、ミシュラン星付きレストランで活躍していた一流の料理人が料理をつくり、高級店の価格の2分の1で提供するというもの。フードの原価率は60%を超えるが、これを立ち飲みのスタイルにして、お客を回転させることによって、これまでの常識にない数字をつくり上げた。この「俺のイタリアン」は、16坪でピーク時に1910万円を売り上げた。「俺の~」は、「立って食べる」というのがコンセプトであった。当初、この斬新さが人々を引き付けた同店は、中古書籍の販売店である「ブックオフ」創業者で、起業家の坂本孝氏のアイデアによって生まれたもの。「世の中が不景気とは言え、ミシュランの星付きのレストランと立ち飲み居酒屋が流行っている。この二つをくっつけよう」という発想で誕生した。この業態は、その後「俺のフレンチ」「俺の割烹」「俺のやきとり」という具合に、料理ジャンルごとのブランドを増やしていく。しかしながら、コロナがやって来て、一時期の話題性は静かになった。「あの『俺の~』は、その後どうなっているのだろうか」。かつて盛況であった「俺の~」を知る人にとっては、その後を案じている人も多いのではないだろうか。今回は、10年以上前、画期的な飲食店を展開して注目を浴びた「俺の~」が、当初体制づくりのために行ったこと、それがいまどのように推移しているのか、2回連載で紹介する。この記事をまとめる上で、筆者のセンチメンタルが込められることをお許しいただきたい。「俺の~」の創業者、坂本孝氏。「ブックオフ」の創業者で、「2勝10敗」を標榜する起業家であった「俺の~」の出版の企画書を一晩で書き上げた筆者は、外食産業記者歴40年の者である。詳しく述べると、1982年4月に「食の総合出版社」を標榜する株式会社柴田書店に入社して、最初は『月刊ホテル旅館』に配属され、全国を旅行して過ごしていた。それが、1987年に『月刊食堂』に異動してから、今日に至る。筆者が「俺の~」と出会ったのは、2011年の暮れのこと。この当時、筆者は株式会社商業界の『飲食店経営』編集長から出版部長に異動していて、少しやさぐれていた。しかしながら、それまで30年近く携わっていた、飲食の業界に対する愛着は薄まることなく、飲食の新しい現象に飛びついていた。「俺の~」の第1弾は、この当時のこと。2011年9月、新橋に「俺のイタリアン」をオープンして始まる(烏森口近くで、いまはない)。その当時の繁盛ぶりは、冒頭で述べた通りだ。筆者はその後、「俺の~」を創業した坂本孝氏の自著『俺のイタリアン、俺のフレンチ』をプロデュースすることになり、ゴーストライターも担当した。きっかけは、2012年の9月の夜、酔っ払いの友人から私の会社(神谷町)に電話がかかってきたこと。「いま、神谷町の『俺のイタリアン』で美女と一緒にいるから、来ないか」と。早速その店、地下鉄・神谷町の入口近くにある同店を訪ねたところ、確かに友人は美女と一緒にいた。彼女は「俺の~」の広報担当者とのこと。そこで筆者は、早速相談を持ち掛けられた。「うちの坂本(孝社長)が、本を出したいと……」神谷町のお店は、確か「俺の~」の3号店だったと記憶しているが、筆者は「この、突然大繁盛のお店は長続きしない」と考えていた。そこで、私からの返答はのらりくらり。しかしながら、多少酩酊している帰路、電車の中で、こんなことを考えた。「坂本さんは、古本屋の仕事を『ブックオフ』という業態にして、大きくチェーン化した人。『あの人はいま、こんなことを手掛けている』という路線でまとめると、結構いけるんじゃないか」と。家に着いた筆者は、早速先ほどの広報担当者に向けて、「俺の~」の書籍の企画書をまとめて、すぐさま、その人にメールで送った。「俺の~」の名物料理、「牛フィレとフォアグラのロッシーニ」1280円。びっくりする料理を本来の価格の2分の1ないし3分の1で提供していた「こんな店をやってみたい」と思わせる展開その筆者の企画はすぐに採用されて、その翌月の、2012年10月中旬から坂本氏の取材をさせていただくようになった。最初は、港区赤羽橋の病院。その後は、銀座の焼き鳥居酒屋とか、そして汐留のご自宅に伺うこともあった。坂本氏は聡明な人であった。収録には前もって目次のプランをやり取りして、収録当日のテーマを提供していて、当日坂本氏が約2時間にわたる語るストーリーは、理路整然としていて、とてもまとめやすかった。ときには落語家のような語り口調になり、笑いを誘うときの表情はお茶目だった。筆者が、ここで述べておきたいことは、「創業者の行動力」「人を引き付ける力」ということだ。坂本氏の「俺の~」のコンセプトは、「星付きレストランの料理を価格2分の1で提供する」ということ。そこで原価率が高くなるのだが、客数を増やすために回転が高まるように、お客には「立って食べる」ことを強いるということだ。しかしながら、このような売り方は、坂本氏が必要とする一流レストランにシェフたちにとって、当初屈辱的なことであったようだ。それに対して坂本氏は、シェフたちのそのような想いを解消するために、自分が理想とするお店に彼らを連れて行った。その定番となったのは、東京・勝どきにある「かねます」であった。同店では、ウニ、牛刺し、フグの白子、エイヒレなどを使用した一品料理を提供し、立って食べるスタイルで、客単価4000円程度であった、午後4時オープンであるが、オープン前にはすでに行列ができていて、それ以降はパンパンの繁盛状態が続く。同店は立ち食いのお店であるが、シェフたちは、お客を強烈に引き付けているお店の様子を目の当たりにすることによって「このようなお店をやってみたい」と、坂本氏に訴えるようになったという。大時代的な言葉がもたらす求心力を見た「俺の~」の本づくりが佳境に入った2013年1月のこと、筆者は同社の決起集会に招かれた。会場は、銀座にある質素な宴会場。会場には、一見して、調理や接客の世界のベテランと分かる人たちが、約50人集まっていた。彼らの表情には、「これから新しいことを始めるのだ」という輝きがあった。決起大会のプログラムは、各人の決意表明で構成されていた。それぞれ著名なレストランで活躍をしていたという料理人、ソムリエ約10人が、次々と登壇し、「坂本社長の下で、新しいビジネスにチャレンジできる喜び」を述べていった。ミシュラン星付きレストランのシェフやスーシェフを集めて、その存在をアピールした最後の場面となり、立ち上げメンバーの一人がこう語った。「楽をしながら素晴らしい料理人として大成している人なんて一人もいません。いまやっていることが大変であればあるほど、将来の蓄積になると信じています。一人でも多くの仲間に、そう思っていただけるように、理念が共有できる組織をつくり上げることができるのであれば、喜んで人生を捧げます」次に、この集会を締める立場で壇上に上がったもう一人の立ち上げメンバーは、こう語った。「ならば私も、地獄の果てまでもお付き合いします」そして、「将来、株式を公開して大きな夢をつかみ取ろう」と訴えかけて、決起集会は終了した。「俺の~」はこのとき、銀座に多店舗展開をするようになって、街中のあちこちに長い行列ができていた。この集会を終えて、彼らは行列のお店に赴いて行った。大時代的な言葉遣いが見られた集会であったが、筆者はこのとき「求心力のつくり方」というものを学んだ。「俺の~」は、主として銀座エリアで店舗展開をするようになり、常に長い行列が特徴となっていた(いまの時代、予約システムが存在しているので、昔なつかしい繁盛店風景である)