『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について綴る。浅草吉原で120年続く馬肉料理店がたどった商売の変遷桜なべ中江(東京都台東区)コロナ禍にあって「近代的な売り方」に挑戦第2回(この連載は計2回)前回は、「桜なべ中江」が創業した明治38年(1905年)から、リーマンショック、東日本大震災までの間に同店がたどってきたことを論述した。創業からしばらくの間「吉原」は大層にぎわっていて、同店は「吉原の遊郭」を目的にしたお客で四六時中繁盛していた。それが、太平洋戦争が終わり、GHQが日本政府に公娼制度の廃止を要求したことから、1958年に売春防止法が完全に施行された。そこで、吉原の遊郭は消滅する。これによって、同店には「吉原の遊郭」を目的にしたお客はピタリとなくなってしまう。しかしながら、地元のお客から愛される存在となっていく。それは、浅草のお祭りなどの「ものび」での利用。地元住民にとっての「ご馳走の店」とか。バブル経済には同伴の店として利用されて、バブル経済が崩壊してからは「一カ所で食事を完結する」というコース料理が誕生した。まさに、山あり谷ありであるが、同店は柔軟に時代の動きに沿って店の営業形態を変化させていった。さて、今回は2020年に始まったコロナ禍当時に同店が試みたお話である。そしていま、同店はどのような方向に進もうとしているのかを論述する。「コロナ禍」到来で、「脱老舗」的な挑戦を展開「桜なべ中江」の四代目、中江白志氏は、自分が当主となってから、先代が経験してきた「時代がひっくり返るような大きな変化を経験していない」(四代目)ことを不思議に思っていた、という。先代が経験したこととは、初代の場合、戊辰戦争、二代目は関東大震災、三代目は太平洋戦争ということ。四代目は「自分の場合、リーマンショックや東日本大震災を経験したが、すべて1年2年で元の状態に戻ることができた」という。そんな中で、2020年にコロナがやって来た。四代目はこう語る。「妙なことのように聞こえるかもしれませんが、この世界的なパンデミックがやって来たということで、私的にはワクワクするような気分になっていました」そこで、四代目は、これまで「老舗だから」といって回避してきたことに、大胆に取り組んでみようと考えた。筆者は、まさにこの当時に四代目との知己を得たのであるが、同店では「老舗」にとらわれないユニークな営業を行っていた。それはまず、「弁当販売」。それも、馬肉料理屋のテイクアウト商品ではなくて、消費者が「欲しい」と考えるテイクアウト商品。具体的には、「カバオライス」「キーマカレー」「ハンバーグ」とか。「キーマカレー」のテイクアウトを行ったことから、レトルトのキーマカレーをつくってくれるメーカーも現れた。これによって、百貨店のカレーフェアに出品する機会を得た。さらに、「通販」。四代目は「これをやってみて、経営に対する影響力がとても大きいということが分かりました」という。飲食業とは一日の中で、どうしても忙しい時間帯とヒマな時間帯が生じる。ビジネス街の場合は、平日が忙しくて土日がヒマ。観光地の場合はその逆とか。こんな感じで必ず「繁閑」というコトがある。ところが「通販」とは、商品をつくる場面はいつどんなときでもいい。いつ販促をしてもいい。そこで、コロナの最中のヒマな時間をうまく活用して、通販用の商品をつくった。これは、経費を増やすことなく、売上を増やすことが出来た。そして、利益にとても貢献してくれた。また、通販は「桜なべ中江」の名前を広げるようになった。コロナ禍1年目の同店は大赤字になった。四代目はこう語る。「桜なべ中江が115年かけてコツコツと貯めてきた利益の4分の1がなくなりました。そこで、あと3年コロナが続くと債務超過になってしまう。このような状態だったのが、さまざまな取組みが功を奏して、2年目にV字回復しました」と。吉原で100年続いた料亭を継承し、可能性を広げるコロナ禍より10年さかのぼる2010年のこと。「桜なべ中江」では、吉原の真ん中で100年続いていた料亭「金村」を譲り受けて、「桜なべ中江別館 金村」として営業を始めるようになった。これは、経営者が高齢になったことで手放すことになり、たくさんの人々から「この場所を使いたい」と申し出があった。そこで四代目が「浅草吉原の文化を継承する存在として活かしたい」と名乗り出て、2010年に譲り受けることができた。ここを設計した人物は、吉田茂氏の邸宅や東京ヒルトンホテルなど数々の名建築物を手掛けてきた吉田五十八(よしだ・いそや)氏(1894年12月―1974年3月)で、建造物としても貴重な存在である。「桜なべ中江別館 金村」では、吉原の伝統を披露する集いなどで活用されている本店が吉原と共に存在してきたことから、営業を継続していく過程で、この同店の歴史的背景を知るお客から「吉原を散策しながら、吉原のことを教えてほしい」という要望が増えてきていた。そこに、吉原の文化を継承する「金村」が加わったことで、「桜なべ中江」は吉原の点と点を線で結び、さらに面に広げていくことが出来るようになった。このような存在感によって「吉原に興味がある人」の誘客につながっていった。また「金村」は「桜なべ中江」の本店から徒歩で5分もかからないことから、現在は「本店」の個室として、また、落語会などのイベント会場として活用されている。吉原散策とつながる「桜なべ中江」の企画が増える大河ドラマ『べらぼう』は、1月に放送が開始されてからにわかに「吉原」の知名度を高めている。四代目によると「べらぼう効果でいえば、団体のお客様がグンと増えてきた」とのこと。「桜なべ中江」では、これまでランチ営業は土日しか行なっていなかったが、旅行代理店などが、吉原散策と同店のランチをつなげた企画を立案して販売するようになり、平日のランチタイムに団体のお客に「貸切」で使用されるようになった。吉原の中心部に期間限定(2025年1月18日から26年1月12日)で「江戸新吉原耕書堂』が開設されて資料館&土産品売り場を構えている(画像は、花魁道中の際の高下駄)そこで、四代目は「おいしい桜鍋の食べ方」の説明をしているのだが、これがまた同店のファンを育てることにつながっている。四代目は、吉原文化を広めることに、無限の可能性を感じ取っている。「『べらぼう』が始まる前に、『鬼滅の刃』の『遊郭編』というお話があって、これがテレビで放映されていた時期がありました。ここに出てくる吉原は大正時代で関東大震災が起きる前の当時が舞台となっています。これによって「吉原は盛り上がるかも」と思ったのですが、コロナになってしまいました。そこで、私はこのアイデアを温めて、「親子で巡る吉原散策」というツアーをつくりました。この『鬼滅の刃』の舞台となったゆかりの場所を、私がお子さんたちに説明していくのです」『江戸新吉原耕書堂』では、吉原にちなんだ動画が放映されいるこのような形で、吉原散策とつながる「桜なべ中江」のツアーは月に10本程度行なわれているという。このように吉原と共に生きてきた同店について、四代目は「吉原の文化を伝える存在であることを、とても大切に思っています」と語り、老舗料理店が地元に果たしてきた役割を、これらの文化の継承に役立てていきたいと考えている。浅草の大河ドラマ館(2025年2月1日から26年1月12日まで開設)の入場券があると、蔦屋重三郎ゆかりの地を巡回するバスに無料で乗ることが出来る