㈱串カツ田中ホールディングスは、この3月1日㈱ユニシアホールディングスに社名を変更した『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について語る。「串カツ田中HD」から「ユニシアHD」へ上場企業の基盤をつくった事業の店名から転じて、新社名に変えた狙いとは(連載2回、第1回)㈱串カツ田中ホールディングスが、この3月1日に社名を変更した。新社名は㈱ユニシアホールディングスである。串カツ田中HDの2025年11月決算は、210億9100万円(対前期比25.1%増)、経常利益12億3600万円(同46.1%増)、同期末の店舗数は、総店舗数が357、うち「串カツ田中」が344となっている。同期における同ブランドの出店数は、直営14、FC5(退店は、直営8、FC5)。これについては、「不採算店舗を撤退し、経営資源を成長分野へ集中させることで、将来への企業価値向上を目指す」としている。これらから、次のステージに飛躍する展望を読み取ることが出来る。新社名の㈱ユニシアホールディングスについて。同社では、この社名が意味するところを、このように解説してくれた。「ユニシア」の「ユニ」とは「一つの」という意味。「シア」とは「海」のイメージ。世界には4つの海があって、いろいろなものが溶け込んでいる。そこで、「ここから世界に行こう!」というメッセージを込めている。「串カツ田中」の中で、いまどのようなことが起こっているのだろうか。これからどのように進もうとしているのだろうか。筆者のこれまでの取材を踏まえて論述する。個人バーから高級和食店、リーマンを経験して「串カツ田中」開業まず、ユニシアHDの代表取締役兼会長の貫啓二氏が、同社の原点を起業してから、串カツ田中HDの隆盛に至る沿革を簡単に紹介しよう。貫氏は28歳のときに大阪で個人のバーを起業、その後、東京に出て飲食業を起こした貫氏は、1971年1月生まれ、大阪府出身。高校卒業後、トヨタ輸送に入社。1998年1月個人事業として、バー「KG Bar」をオープン。2004年3月「京料理みな瀬」(東京・港区)をオープンした。リーマンショックを経験した後に、2008年12月「串カツ田中」1号店である世田谷店(東京・世田谷区)をオープンした。東急電鉄世田谷線沿線の住宅地である。2008年12月にオープンした1号店「世田谷店」の様子「串カツ田中」の社名の由来は、共同経営者である田中洋江(ひろえ)氏の父が、串カツのソースを独自につくっていて、そのレシピが見つかったことがきっかけで、串カツ店を事業にすることにしたことから。ちなみに田中氏は同社の副社長を務めていたが、2025年2月に退任している。さて、「串カツ田中」は、2011年12月に方南町店をFC化して、FC展開を開始。14年7月に岸和田店をオープンして関西エリアに初進出した。15年8月商号を「株式会社串カツ田中」に変更。同年12月100店舗(FC店含む)達成。16年9月東証マザーズ市場に上場。18年7月に200店舗達成(FC店含む)。2019年6月、東京証券取引所市場第一部に指定変えを行った。2022年6月同社のCFOとして貫氏がスカウトした坂本壽男氏が、代表取締役社長に就任した。貫氏は代表権のない社長に就任した。2024年9月、貫氏は代表に復活。貫啓二代表取締役会長と坂本壽男代表取締役社長の二人代表となった。2025年9月、「脱・串カツ田中」宣言と、イタリアンレストラン「PISOLA(ピソラ)」を約60店舗展開する株式会社ピソラの完全子会社化を発表した(「ピソラ」については、本連載の第2回で詳しく紹介する)。2025年12月1日、㈱ピソラの全株式を取得し、約95億円で完全子会社化した。12月15日に貫氏が代表取締会長兼社長に就任。坂本氏は退任した。そして、2026年3月1日、㈱ユニシアホールディングスに社名を変更した。「串カツ田中」が自走しているうちに「ゼロイチ」に挑戦上記にまとめた沿革の中で、同社の激しい動きを示す部分は、後段にある「2024年9月、貫氏が代表に復活」という部分から始まる。これらの経緯について、筆者はこの2月末貫氏に取材をした。ここから、取材した内容に基づいて、同社の動きについて解説しよう。貫氏は2024年9月代表に復帰する、その1年前あたりから、「未来に対する漠然とした不安」を感じていた、という。それは「『串カツ田中』だけだと、いつか終わりがやって来る」ということ。そこで「代表に戻ろう!」と貫氏は決意した。「この段階で、僕の中にはその後のプランがある程度描かれていた」と語る。まず、2024年8月に「天のめし」というブランドを立ち上げて、京都に出店。25年4月から「串カツ田中」で「無限ニンニクホルモン串」を販売。そこで業績が著しく伸びて、株価も上がった。そして25年9月に「脱・串カツ田中」という新しいコーポレートスローガンと、ピソラの完全子会社化を同時に発表した、という流れになっている。「脱・串カツ田中」とは、これから「『串カツ田中』が進むべき道」を語り、ステークホルダーや社内に示した貫氏はこう語る。「この時『串カツ田中』は 340店舗を超えて、ある程度自走できるようになりました。ですから、ここが自走しているうちに、別のことにチャレンジしておかないといけない。もう一度『ゼロイチ』をやる必要がある、と考えました」「脱・串カツ田中」というメッセージには、どのような意味が込められているのだろうか。「これは、『串カツ田中』を捨てる、ということではありません。『当社が進む道』ということです。当社は今後1000店舗体制に向けて、事業領域を拡大して、さらにグローバルに出ていくことを目標にしています。そのためには現状維持ではなく、サービスや質を磨き上げ、プロフェッショナルな人材育成を推進して、『串カツ田中』を変革していかないといけない。『串カツ田中』に次ぐ新しい挑戦、新しい価値を創造して、企業価値の向上を目指していかないと。ピソラの完全子会社化もそのためです」インバウンド向け業態を立ち上げて「動き」をつくる2023年8月に立ち上げた「天のめし」ブランドの狙いについて。「これはまず、インバウンド向けの業態で、アウトバウンドにつなげていくことが狙いです。日本のインバウンドは年々増えていて、昨年は4000万人を超えています。それを『串カツ田中』では全然取れていなかった。インバウンドのマーケットは災害とかパンデミックの影響を受けますが、そんな理由をこねて、『手を出さないのは、どういうこと?』と」インバウンドに対応した「天のめし」は、1号店を京都・八坂神社近くにオープン。32席で最高月商2800万円を記録している「また、僕らは12年前に『串カツ田中』をアメリカに出店して失敗しているのですね。このとき『海外では、串カツのことを誰も知らない』ということを思い知らされました。アメリカの人に『すし、ラーメンのない日本食』と紹介したところで、『よく分からん』ですよ。ただ、そこで『じゃあ、アメリカで串カツを育てて機が熟すのを待とう』というのはナンセンスですね」「そこで、日本でインバウンドがやって来る店をつくって、アウトバウンドにつなげる。日本でインバウンドからお金をいただくという発想ではなく、日本のインバウンドの店をスケールするために、アウトバウンドで世界戦に挑む、ということです」現在「天のめし」を含めたインバウンド向けブランドは、いま京都に「天ぷら」2店舗、「しゃぶしゃぶ すき焼き」3店舗、「とんかつ」1店舗。1年少しでこのように増えている。最初にオープンした祇園の店は、32席で最高月商2800円を売ったことがある。そこで2026年1月、LAに「天のめしの「とんかつ」をオープンした。「天のめし」の「インバウンドからアウトバウンドにつなげていく」という構想は、着々と進んでいる。低価格の定番メニューを開発し、既存店の売上120%を達成昨年の中ごろから「串カツ田中」に顕著な変化が見られている。それは、以前に比べると見違えるほど活気がある、とういうことだ。この要因は、2025年4月より「無限ニンニクホルモン串」をメニュー化したことがきっかけとなっている。この商品の意義は、「1本55円の低価格串で、誰もが注文する新名物としてつくった」ということで、昨年末『日経MJ』の「2025年ヒット商品番付」にも選出された。「無限ニンニクホルモン串」は1本50円(税込55円)。2025年4月末に販売を開始し、12月末までに1400万本に達した貫氏は、このように語る。「これをつくる前に『値上げ』の話が出ていたのですよ。僕が『なぜ、値上げをするの?』と尋ねると、『どこもかしこも値上げをしているし、いまのタイミングで値上げをした方がいいのでは』という。僕は『そんな考え方は嫌だ』と言ったのですね。当社は上場企業ですから、値上げをすることは半年前に決まっていて、予算の中に入っていました。僕は『それを止めろ』と。『じゃあ、この予算をどこで埋めますか?』と。そこで、僕が『ちょっと考える……』ということから始まりました」その商品の存在感とは、「大衆酒場の個人店に入って、『このお店に来たら、肉豆腐がおいしいんだよとか、メニューを見ないで注文する商品があります。それに対して「『串カツ田中』には、このような商品がないな」ということだったという。そんなある日、「牛ホルモンを串にしたら、ええな」と、ひらめいた。ネットで調べて原価を割り出して。「これ、1本50円で売れるんじゃないか」と、構想をまとめて行った。このアイデアを購買担当に伝えたところ、すぐにサンプルを取り寄せた。メニュー開発チームが、さまざま試作して、3カ月くらいで商品化できた、という。この「無限ニンニクホルモン串」は、昨年12月末に販売を終了し、累計1400万本を売った。貫氏の「単純な値上げは、絶対にしたくない」という主張にぴったりとあてはまったようだ。この商品の価格が低いことから。原価率は上がって、客単価が10%くらい下がるのではと想定していたという。そこで、来客数が110%くらいになる必要があるのではないか。そこで「来客数を増やす、というミッションを掲げた」という。ピラミッドの形にすることによって、「気軽に、何本でも食べられる」といったイメージを訴求している実際には、それまでの客単価2700円が102%に増えた。来客数は118%になった。「顧客満足が上がった」と言える。貫氏は、「これによって『串カツ田中』のブランド力が、ぐっと上がりました」と語る。(次回、5月14日に続く)