『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について語る。カツオの六次化でカツオ料理店を展開する「明神丸」カツオ愛のすべて(この回のみ)高知に本拠を置く「明神丸グループ」は、カツオの一本釣り漁から、物販商品への加工、そして飲食業を展開するというカツオの六次化を推進している企業グループだ。このグループの中で飲食業を展開する株式会社明神丸(本社/高知市、代表/森下幸次)が、近年積極的に出店している。2025年には、3月東京・日本橋、6月吉祥寺と2店舗出店して、16店舗となっている。このカツオ料理の飲食店「明神丸」は、カツオの藁焼きを考案した飲食店で、各店舗では、この藁焼きをダイナミックに行うパフォーマンスが名物となっている。そして、ポン酢で食べるだけでなく、塩で食べる食べ方も考案して、カツオ料理の魅力を切り拓いてきた。この明神丸の代表、森下幸次さん(54歳)は、元々同社グループのカツオの一本釣りの漁師を務めていた人物。いかにも元漁師といった精悍な風貌である。森下さんに、六次化企業としての展望を伺った。カツオの一本釣り料理、カツオ加工業、カツオ料理店と、自らカツオの六次化を歩んでいる明神丸代表の森下幸次さん幼少期からカツオの漁師一族の中で育つ森下さんが、カツオの仕事に就くようになったのは、森下さんの母方がカツオの漁師の一族で、小さい頃からこの環境の中で育ち、カツオ漁の船に乗るようになった。「明神丸グループ」では、カツオの一本釣りから、カツオの加工業、カツオ料理店の営業とカツオの六次化を推進しているそれから12年が経ち、森下さんは陸に上がった。一族が立ち上げたカツオの藁焼きをつくる工場で仕事をするようになった。藁焼きの状態のカツオを真空パックにして、マイナス50度で冷凍して、それを販売するという事業である。このとき森下さんは29歳。ここで働くことになったのが、森下さんにとって大きな転機となった。高知市内に「ひろめ市場」という「土佐の食」が集まる大きな屋台村がある。同所から会社に「カツオの藁焼きたたきを販売する物販店を構えて、その隣りでカツオのたたきの飲食店もやってみないか」という誘いがあった。森下さんは、陸に上がってヒマな日々が続き、「何か、挑戦したい」という想いを抱いていた。ある日、上司から呼ばれて、「お前、ひろめ市場に行って、店長をやらないか」と。森下さんは「おもしろそう、楽しそう」という想いがあり「はい、やります」と、即答した。さて、「ひろめ市場」のお店は社員が森下さん1人、あとはパートさんが2人、この3人でスタートした。森下さんを含め、飲食業を経験したことがある人は誰もいない。そして、カツオの商品は売れなかった。飲食をお客に出すとしても、解凍したカツオの藁焼きをカットしたもの。これは会社の方針であって、森下さんとしては、なんとかひと手間かけておいしくできないか、と考えていた。あるとき、カツオ料理を出す個人店に入ったところ、お店でカツオの藁焼きをやっていて、それをたたきにして出していた。「これは、おいしい料理だぞ!」と、ひらめいた。ここから試行錯誤の連続であった。ぽつりとやって来たお客の前で、カツオの藁焼きを実演販売する、という程度であったらたやすく運営できるだろうが、「ひろめ市場」は大層にぎわっている。ゴールデンウイークや夏休みとなれば、観光のお客などで大変な様相となる。このような環境の中で、カツオの藁焼きを安定して行うにはどうしたらよいか。ショーアップするための仕組みとか、耐火ガラス、天井の高さ、素材、空調という具合に、いろいろと取り組んでいった。こうして、カツオの藁焼きがこのお店のパフォーマンスとして定着するようになったのは、お店を始めてから4年が経過してからだ。店内で行うカツオのわらやきのパフォーマンスは「明神丸」の名物となっている最初のお店から出て、自分で「居酒屋」を切り拓くカツオの藁焼きを始めてから、お店の売上が急激に増えていった。そこで、「社員」を雇うことができて、社員は3人になった。そして、森下さんはこのようなことを考えるようになった。「カツオの藁焼きは良く売れる。しかし、この子らの給料を上げるためにはどうしたらいいか」と。そこで「ここに、店長1人置いたらいいじゃないか」と。「オレは、ひろめ市場を出て、外で飲食やるわ」という感覚で、社員を2人連れて「居酒屋やろう!」と勇んで町に出て行った。しかしながら、居酒屋をつくるためには「5000万円かかる」という。最初は会社から反対された。銀行に納得してもらうためにがんばった。森下さんには、このような確信があった。「高知で、圧倒的においしいカツオのたたきを出せば、地元のお客さんは来てくれるはずだ。そして、知人が高知にやって来るとなったら、おいしいカツオのたたきのお店に連れて行こうと思うはずだ」と。そして、「ひろめ市場」のお店に続く、初の居酒屋は2008年8月、高知市本町にオープンした。最初の2カ月、3カ月は苦戦した。その後、売上が上がるきっかけとなったのは、飲食店のクーポンが流行るようになって、そちらの営業の方が森下さんのお店にやって来たこと。このとき「宴会予約」ということを教えてもらい、「宴会コース」をつくるようになった。このような商品づくりのために、お店が終わってから、夜中の2時から始まる市場に魚を見に行った。その後、店の従業員も付いてくるようになり、一緒になって宴会コースのメニューづくりを考えた。そして、地元のお客の「お声」によく耳を傾けて、ニーズを把握していった。こうして「飲み放題付きで5000円のお客さんを取っていこうや!」と、前向きになっていったという。森下さんが展開するお店「明神丸」は、チェーン店として県外に出店していく。その最初の店は、2014年12月にオープンした「イオンモール岡山店」でる。イオンモールの説明によると、「岡山駅と直結して、去年(2013年4月)出来た『グランフロント大阪』みたいになる」という。そこで、昼と夜で業態を変えてみた。すると、このお店の売上はいきなり跳ねた。ここから、東京での展開を視野に入れるようになった。カツオのたたきをポン酢で食べるほかに、塩を付けて食べる食べ方も開拓したお店で働くすべての人に「誇り」が感じられる2024年7月JR大阪駅直結の「KITTE大阪」に出店した。このとき、お店を利用しているお客の中に「この店、高知の明神丸か……」とつぶやくお客がいたという。高知のお店の存在を知っている、ということだ。この瞬間、森下さんは改めて「出店は、楽しいな」と思ったという。森下さんは、このように語る。「私は飲食業の中に居て、『商品にこだわりがある』とか『接客が素敵だ』と感じる場面がたくさんあります。しかしながら、私のスタンスは飲食業で儲けるということではなくて、『飲食業は一つの手段』ということです。私の目的は『カツオに付加価値を付けて、カツオの市場を広めていく』ということです。そのために、カツオの藁焼きのギフトや飲食業が存在しているのです」そこで、筆者は森下さんに、このような質問をした。「御社は、一次産業から三次産業まで一貫した六次化を推進する企業です。これから『カツオ』にどのように取り組んで行こうと考えていますか」と。すると、このように答えてくれた。「当社の経営理念は、『お客様を喜ばせることが、私たちの喜びと使命です。そして仲間を愛し、事業に関わっている方々の役に立っていきます』となっています。この中には『カツオ』という文言はありません。要するに、当社は世の中の役に立つ存在であり続けるということ。この先、何代か先に、カツオが全然取れなくなったとなると、別なことを考えてみてもいいでしょう」「ただ、当社の根っこには『生産者』が存在しているということです。この方々によって、当社の事業のすべてが成り立っているということを、しっかりと理解し継続していくことが重要です」これは森下さん自身が、カツオの一本釣り漁師、カツオの加工業、カツオ料理の飲食店と、六次化の道を歩んできたからこそ、身体に浸透している哲学なのであろう。森下さんの飲食店「明神丸」で食事をしていると強烈に感じることがある。それは、ここで働いているすべての人が、お店の商品に対して「誇り」を抱いているということだ。それは自分の会社は、生産に直接かかわっているという「誇り」なのであろう。2025年5月にオープンした「明神丸」吉祥寺店は、PARCOの真裏にあり、吹き抜け構造で開放感がある