第3章 ~1990年代後半から2010年あたりまでFCブームを駆け抜けた「ベンチャー・リンク」と「BSE」に揺れた時代――その①(この章は全体5本)㈱ベンチャー・リンク(以下VL)という企業が飲食業のFCの世界を台風のように駆け抜けていた時代があった。1990年代の後半から2005年ごろまでのわずか10年間足らずのことである。この間に多くの事業者に事業拡大の夢を見させて、さまざまな問題を巻き起こして12年に消えた。ここでまず、同社がどのような意図を持って事業に取り組むことになったかまとめておこう。ちなみに、『飲食店経営』は1999年12月号でVLの特集をした。タイトルは「アウトソーシングが切り開く飲食業のビッグビジネス~ベンチャー・リンクの仕事と支援先企業急成長の秘訣」である。VLが表舞台に出てきたのは1995年の暮れのことである。きっかけは、岡山市に本拠を置くベーカリーレストランチェーン「サンマルク」を経営する㈱サンマルクが株式を公開したこと(95年12月)。会社が設立されてからわずか6年のことであった。サンマルクは店頭でベーカリーの出来立てをアピールし、店内ではフランス料理を提供する客単価2300円のレストランである。その報道では、必ず「サンマルクの株式公開には、それを支えた会社が存在した」とあった。しかしながら、そんな記事のどれにもなぜか「株式公開を支えた会社」の社名が書かれていなかった。そこで、誰もがその会社のことを捜すようになり、それがVLであることが判明する、ということになる。この謎解きはVLが意図的に仕掛けたことなのか定かではないが、VLの存在感は伝説のように語られていった。その後、VLは次々とFCザーを発掘して、加盟店をつなぎ、多くのFCチェーンを生み出していった。では、このようなFCチェーンの支援を業務とするVLとは、どのようにして会社が成り立ち、存在感を強めていったのであろうか。アイデアを持つ人と事業を探している人をつなぐVLの母体は、京都に本拠を置いていた中小企業経営に特化したコンサルティング会社の㈱日本エル・シー・エーである。同社の創業家である小林忠嗣氏が一つのアイデアを元に、東京で設立したのがVLである。1986年3月のことであった。筆者が『飲食店経営』1999年12月号でVL特集を行うために同社にアポを入れたとき、小林氏より「○月○日の20時に来てください」という返答があった。筆者は「取材を受けてくれる時間が、なぜ20時なのか?」と、当初、その時間帯の意味がよく分らなかった。しかしながら、同社を訪ねて合点がいった。夜中の20時でも会社の中の雰囲気は疲れた空気が漂う残業風景ではなかった。当時、普通の人の3倍くらい働くことに、「ドッグイヤー」という言葉が使われていたが、それを実感させる光景であった。さて、小林氏が語ってくれたVLの狙いはこうだ。――中小企業固有の問題に「素晴らしいアイデアがあっても資金がない」ということがある。その一方で「資金があっても本業に将来性がなく新しい事業を模索している」という企業もある。この両方を結びつけることができれば、双方にとってメリットがある。どんな事業にも実際に収益を上げている仕事の他に、やむを得ず行っている仕事があり、その分の生産性が上がらない。その生産性が上がらない部分をVLが担って生産性が上がるようにする――。ざっと、このような内容であった。この「双方にとってのメリット」となるベースをつくるために行ったことは、これから同社の会員としていく中小企業の情報を集めることだった。そこでそれを実践するために飛び込みに近い形で営業活動を行った。そして、旧相互銀行や信用金庫から徐々に提携先を増やすようになり、万単位の会員を組織化した。この実績を元にして地方銀行や都市銀行とも提携を進めた。この当時組織化したのは全国約196機関、9万社となった。このような事情で、VLの設立から約10年間は金融機関のシンクタンク的な機能を果たすことが業務の中心となった。その過程で、VLは先に述べたサンマルクと出合った。FC開発のスピードが飛躍的に早くなる仕組みサンマルクの片山直之社長は、1970年代から小林氏のビデオを活用した勉強会によってFC展開の在り方について学んでいた。そこで、片山社長は当時の「サンマルク」の状況を見てもらった。そのポイントはこのようなことだ。■当時(1991年ごろ)のファミリーレストランは低価格化に傾斜しつつあったが、「サンマルク」は客単価2300円程度で、特定の顧客にアピールする。■「サンマルク」はフランス料理店でありながら、店舗にはパートナー企業より半加工済みのメニューが届けられ、店内では素人が最終調理を行っている。この仕組みを目の当たりにした小林氏は、「うまくFC展開につなげれば3~5年で株式公開できる」と確信し、1991年にここに日本エル・シー・エーを組み入れてFCパッケージ化して、92年よりFC展開を開始した。VLのFC開発代行事業は、ここから始まった。VLのFC開発代行は、一般的なFC公募ではない。前述の苦節10年でつくり上げたネットワークの中に落とし込むことだ。VLの会員に対して新しいビジネス情報を提供し、その中で興味を持った会員にVLの社員が営業に出向く。VLでは逐次新しいビジネス情報を提供していくわけだが、「サンマルク」で成功した会員はこの情報に興味を示し、噂を聞きつけた他の会員も興味を示していく。成功の実績を積むと、そのたびに飛躍的にFC開発のスピードは上がっていった。VLでは、次にスーパーバイザー(SV)の代行を行うようになった。これは「サンマルク」の次にFC開発代行を手掛けた中古車販売の「ガリバー」からである。「ガリバー」は初期投資が低いことから、飛躍的に加盟店を増やしていった。しかしながら、このスピードに本部からのSVの力が追い付くことができずに、加盟店が赤字化してFCシステムそのものが崩壊する危険性があった。そこで、VLからSVを派遣することになった。こうしてVLのSV代行がはじまった。FC開業支援をグループ企業で専門特化このようなVLのSV代行の仕組みが評判となり、VLにFC支援を求める企業は後を絶たなくなった。その一方で、VLはFCザーとなる業態の審査の基準を厳しくしていった。 具体的には次のような内容である。■売上対営業利益率20%以上(20%以内であれば、ロイヤルティ5%を納めてもジーの手元に15%の利益が残る)、投資回収3年以内(うまくいかなかったときのダメージを抑える)。■「参入障壁」を築くことが出来るか(まねをしてもまねをしきれない仕組み、まねをしても無駄だという開発スピードがあるか)。■時代の変化に合わせて、業態をリファインしていく能力を社長自身が持っている。さらに、FC開発支援で行われる業務を専門的に行うグループ会社を6社設立して、この事業をより先鋭化していった。それは以下の通り。・㈱ベンチャー・リンク(加盟店開発・立地開発・SV代行、経営戦略立案サポートなど)・リンク・インベストメント㈱(投資、株式公開コンサル)・㈱プライム・リンク(FC加盟店運営、マーケティングノウハウの蓄積と本部へのフィードバック)・VENTURE LINK USA,INC(各FCの食材や商材の輸入代行、翻訳・通訳サービス)・㈱モベラ(広報・宣伝・販促事業支援、など)・㈱リンク総研(市場調査、など)・㈱ベンチャー・リンク コミュニケーションズ(FC本部の社内システム・メール環境の整備、FC本部のHP作成、など)*関連会社・㈱日本エル・シー・エー(FC診断、FCパッケージ化、など)こうして「ビジネスの種を見つけ、それを自ら支援してFC本部として成功させて上場させる」というVLのビジネスモデルは大きく注目されるようになった。「成功FC」を量産していくという意味を込めて「FCファクトリー」と自称していた。そして、2001年3月に東証一部に上場した。――次回、1月30日につづく。