『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について語る。青森で「業界No.1レベル」に成長させた33歳社長の展望その①――10代で繁盛業態を築く第1回(この連載は計3回)筆者の生まれ故郷は「青森市」である。高校まで青森市で過ごし、進学で東京に出てきて、東京で就職し、いまに至っている。 いま東京に居て、全国の飲食業経営者と交流をしている。そんな中で青森市内の青年経営者と知己を得ることができた。その人は「小林達哉」さん。1992年2月生まれで現在33歳。会社名は株式会社W&W。この社名は「win-win」が由来とのこと。2011年10月に青森市内の飲食店街・本町(ほんまち)に「石と肴 地雷也」を起業し、現在青森市内に「地雷也」ないし「じらいや」という店名で5店舗展開していることから「地雷也グループ」と称している。 そこで、筆者は小林さんと地雷也グループのことを3回にわたって論述する。それは、小林さんの経営に対する考え方が秀逸だと考えているからだ。 筆者が地雷也グループの存在を知ったのは2018年8月のこと。全国の居酒屋の学びの場である「居酒屋甲子園」の、東北地区大会決勝を取材して、同社の発表に大いに感銘を受けた。そのポイントは、以下の2点である。 それは、お店の中で発生した従業員同士のもめごとを解決するなど「人間関係の構築」の仕組みを持っていること。「アルバイトファースト」と呼べるほどにアルバイトを大切にする環境をつくっていること。 このとき、小林さんは26歳であった。当時青森市内に4店舗ドミナント出店していて、筆者はこの経営者の若さと、賢明な店舗展開にも関心を抱いた。そこで、2018年9月、筆者は小林さんに綿密に取材をした。以下の記事は、当時の取材をもとにまとめたものである。小林さんは10代から十数年間、飲食業の経営者を務めている(撮影/福田真紀) 17歳で仙台起業、19歳で青森に出店し土台つくるまず、小林氏が飲食業を手掛けることになった経緯について紹介しよう。小林氏は、青森市本町で飲食業を営む母の下で育った。高校に進学したが半年で退学し、市内の飲食店でアルバイトを1年間行った。この時、アルバイト先の経営者や従業員、またお客からも大層大事にされたという。 そして、青森市よりももっと人口の多い都会で飲食業を起業したいと思い、叔父を頼って仙台市に渡った。10カ月ほど国分町の居酒屋でアルバイトを行い、定禅寺通りで青森に特化した居酒屋を開業した。2階の物件で、25坪30席。看板メニューは親戚のホタテ漁師さんからホタテを格安で仕入れて行った「ホタテの食べ放題、390円」であった。17歳の当時である。仕込み、営業、ビラ配りなど精力的に行い、1日の睡眠2~3時間で奮闘した。 その結果、毎月現金が100万円手元に残るようになった。それに慢心してしまい、半年で売上が急降下した。これではいけないと、鉄板焼きのお店にリニューアルした。このお店はいきなり繁盛した。しかしながら、オープンして1カ月後、2011年3月11日、東日本大震災が起きる。お店が傾き、ドアも開かない状態となった。各テーブルにガス管を引っ張っていたが全部外れてしまった。 小林さんは心が折れて青森市に戻った。このとき19歳。それでも、再起を願いながら、被災地に赴いて炊き出しをして事業意欲をかき立てた。 2011年6月に最初の店をつくったが、紆余曲折があり、体制を立て直して10月にオープンした。ここで、大きな転機が訪れた。新しくあっせんされた料理人が人格的に優れていて、小林さんとも波長が合った。その人物が現在の統括料理長である田中隼人さん。小林氏が田中氏とタッグを組むことで、お店の売上は各段に向上した。「地雷也グループ」のフードは、地場の新鮮な産品をシンプルな調理で提供する(撮影/福田真紀) 「手間がかかるコース料理」が話題を呼ぶ二人が行ったことはこのようなことだ。まず、「とにかくお客さまがお店にやってくる流れをつくろう」と。それまで原価率30%にこだわっていたが、45%に引き上げた。 主力食材の魚は野締めのモノを使用していたが、全て活締めや活モノに変更した。お通しはぞんざいなものではなく、きちんとした一品を提供するようにした。例えば、トゲクリカニを1匹、きちんと煮込んだタンシチュー、キロ7500円の本マグロのユッケとか。メニューのクオリティを上げて原価を掛けても、価格帯はほとんど変えずに提供することによって毎日満席になるお店となった。 また、コース料理の中に生きたボタンエビを入れた。生きた状態のボタンエビの殻をむくことは非常に手間がかかるが、これが大層好評となり、コース料理を予約するお客が各段に増えた。小林さんは田中さんと、常に「攻めて行こう!」と話し合っていたという。 「青森のように商圏が小さいところでは、同じお客様に2度、3度と来店していただくことが重要です。こうして複数回来店するお客様は、次回に友人を連れてきました。そして友人の方がまた友人を連れてくるようになりました」こうして1号店は繁盛店となっていった。初年度の年商は2700万円であったが、2018年の9月期は9000万円となった。実に3倍以上に伸びた。 1号店が軌道に乗るようになったのはオープンしてから3年後あたりで、そこから2号店の出店に備えて貯蓄に励んだ。銀行からの融資も受けられるようになった。 2016年3月に1号店から300m離れた場所に2号店をオープンした。寿司をメインした居酒屋で25坪の路面店である(鮨と地酒 地雷也)。3号店は、2017年8月。メイン料理は魚や肉を藁焼きにして提供する(活魚とわら焼き 地雷也)。4号店は、2018年8月。32坪、既存店の客単価4000円前後に対して5000~5500円に設定した(極 じらいや)。 お客がやって来る流れを整えると、良い循環が出来る地雷也グループの各店舗がこの当時手掛けていたことは、フードのメニュー数を増やすことであった。小林氏はこう語っていた。「メニューを絞り込むという発想は、都会の人口の多いところでしょう。青森では特徴のある一品が評判になり、それで繁盛したとしても、お客さまが一旦飽きてしまうと店に来なくなってしまいます。そこで、同じお客さまに何度も来店していただかないといけない。そこで、選ぶ楽しさが常に必要となります。そこで、当初60だったのが、現在は110くらいに増えています。私は、このように一品が100点の店ではなく、100品の全部が90点という状態を目指しました」 フードメニューのメインは、魚と肉。その中にはキラーコンテンツを必ず設けた。例えば、キロ8000円程度のブランド牛を1品100g1000円以内で提供するとか。「お客さまがメニューを目にした瞬間にコスパの高さを実感できるようにしている」という。 小林氏はこう語る。「お客さまが来店する流れを整えると、店に良い循環ができていきます。良い食材を仕入れたとしても客数が無いと食材が回転しないで冷凍庫に入れることになります。客数があると、冷凍ではなく冷蔵の食材を提供することができます。このようにすべての店の客数が増えることによって、食材の品質が向上すると同時に、メニュー数も広げることができるようになりました」 このとき、お客にオーダーを伺うときに、新規客かリピーターであるかを質問するよう心掛けるようにした。結果新規客4、リピーター6という比率となった。新規客が意外と多い。 「週末は地元のお客様が多いのですが、平日は出張のお客様が多い。青森市内には出張所が多く、平日の宴会は出張所の方が、『県外からのお客さまをおもてなししたい』というご要望もたくさんあります。宴会の人数で一番多いのは20人程度」 出張で青森を訪れる人にとって、「青森でおいしい食べ物を食べる」という動機を満たしてくれるのが、お客が来店する仕組みをつくって繁盛店となっているお店なのである。ちなみに、小林さんは地雷也の売上構成をアラカルト6、宴会4の比率がベストと考えた。メニュー数は各店ともに140品目以上ラインアップして、内容はほぼ共通している ――ここまでが、2018年の9月に取材をした内容である。 筆者は、Facebookで小林さんとつながり、それ以降も小林さんの投稿から、「地雷也グループ」の動向を把握することができた。 コロナ禍で営業ができなかった中で、商品や売り方を工夫したこと。アパート経営を始めたこと。そして、青森市内の目抜き通りである「新町(しんまち)通り」に出店したこと。このような投稿を見ていて、「再び小林さんに取材がしたい」と思いが募っていった。 それを決断したきっかけも「居酒屋甲子園」であった。そこで、2025年12月、筆者は青森市内で小林さんに再び取材した。その内容は、次回詳しく論述する。(次回は、1月15日公開)