『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について語る。ロードサイドの革命児「PISOLA」が描く、「豊かな外食」の再構築と日本の食文化を変える志の集団(3回連載:第2回)本連載は、ファミリーレストラン「PISOLA」(以下、ピソラ)のことを3回に分けて論述するものである。今回は、その第2回。「ピソラ」とは、どのようレストランか。本連載の第1回(7月16日公開)で、筆者が同ブランドの戸田公園店で体験したことを、ざっくりと紹介した。筆者の印象は、ずばり「半世紀前のファミリーレストラン」という存在感であった。「楽しい外食体験」である。メニューはカジュアルイタリアンで、客単価は2600円(ピソラ発表)。ちょっと高いと思われるだろうが、そのような感覚をしのぐ楽しさがあった。さて、今回連載第2回は、「ピソラ」はどのようにして誕生したか、を論述する。それは、外食経営を志す青年の、夢をカタチにしたものである。ホテルマンから外食ベンチャーへ進む株式会社ピソラの創業者は、鬼界友則氏である。1978年12月生まれ、京都府出身。高校卒業後、「都ホテル」(現・ウェスティン都ホテル京都)に入社。ここでは宴会部門を担当していた。2002年2月、㈱京都アメニティ開発(いまは、ない)に入社。同社では、同年3月に「BABY FACE PLANET’S」(以下、ベビーフェイス)の加盟店1号店(京都店)をオープンした。「ベビーフェイス」とは、㈱ベビーフェイス(本社/奈良市、代表/田中利幸)が、1979年に創業した喫茶店に始まる。当初は、オムライスやピラフをメニューに取り入れて繁盛店となる。その後、リゾート地・バリ島の雰囲気や現地の手づくりインテリアを取り入れて「リゾート風カフェ・レストラン」をつくり上げた。2002年3月フランチャイズで「京都店」をオープンして、フランチャイズ事業を開拓。現在FCメインで全国に約80店舗を展開している。さて鬼界氏は、同社で「ベビーフェイス」を運営し、2年間勤務した。その後、「ベビーフェイス」を加盟店でオープンすることを告知して、人材を募集していた㈱ミューズに2004年9月に入社した。そして、同社飲食事業の事業部長として同業態を5店舗オープンした。その後、自身が陣頭に立ち「ピソラ」を立ち上げた。その後「ピソラ」を17店舗展開。2019年に会社分割で㈱ピソラを設立し代表取締役に就任。2025年12月に串カツ田中HD(現、ユニシアHD)の完全子会社となる。ピソラ代表の鬼界友則氏は、ホテルマンから外食ベンチャーに転じて、外食企業を築き上げた 事業部長として実績つくり新規プロジェクト担当さてここでは、前述した内容と重複するが、鬼界氏が、前職で「ピソラ」を立ち上げて、多店化するようになった経緯を詳しく論述していく。 鬼界氏は、社会人となって3社目となる会社、㈱ミューズは不動産業のオーナー企業であった。自分の持ち物件でカラオケを展開していて、マックスで15店舗営業していた。 当時、京都の宇治にビルを1棟借りていて、2階と3階に自社業態のカラオケとインターネットカフェを営業していた。そこで、空いている1階で「ベビーフェイス」を営業する、という。鬼界氏は、このような求人広告を見て、同社に応募した。 ミューズの社長は、鬼界氏が入社してから、飲食業の経験のある鬼界氏に「全部任せる」という。そこで飲食事業にはノータッチであった。そこで、鬼界氏は事業部長として、「ベビーフェイス」を5店舗出店した。そして、「ベビーフェイス」の最後の出店を行った2009年、新業態のプロジェクトが立ち上がった。 このプロジェクトに、鬼界氏自ら会社に「是非、やらせてください」と申し出た。そして、鬼界氏と、いまの総料理長、経理部長の3人でプロジェクトを進めた。コンセプトについては、基本的に鬼界氏が考えていった。 鬼界氏は社会人になってから、常々「将来、イタリアンをやりたい」と考えていた。それも、スクラッチ(店内で手づくり)で食事を提供するというスタイルである。また個人的に、バリ島を旅行することを趣味としていた。現地の五つ星のリゾートホテルの開放感のある空間が、とてもお気に入りであった。 そこで新業態のプロジェクトでは、「バリ島のリゾートホテルの空間で、イタリアンを提供するレストラン」というコンセプトの企画書を作成した。 社長は「任せるから、やっていいよ」という。また「ベビーフェイス」のフランチャイズ本部とは競業になりかねないと考えて、本部でもプレゼンをしたところ了解をいただいた。このような形で「ピソラ」計画がスタートし、2010年12月、大阪府和泉市に1号店の和泉観音寺店をオープンした。店内の随所にバリ島から調達した小物を配して、リゾート感覚を醸し出している 「ピソラ」17店舗の段階で会社分割、独自路線へこうして鬼界氏は、ミューズという不動産業の会社の中で「ピソラ」を展開していく。「ピソラ」の店舗規模については、このように形つくられていった。当時の「ベビーフェイス」の標準は50~70坪であったが、ミューズでは90~100坪がメインであった。鬼界氏はこの規模で営業していて、「これくらいが標準でいいのでは」と考えるようになっていた。 そこで、「ピソラ」の1号店は100坪でオープンした。しかしながら、ミューズのオーナーとしては、自分がまったく関与しない中で、「投資額が大きいことを少し心配していたのではないか」(鬼界氏)と考えて、2号店は46坪にした。そこで投資が抑えられた上に大層繁盛した。そこから標準店は70坪となった。店舗展開を続けて、「ピソラ」は2019年に17店舗となった。スタッフのユニフォームは白のTシャツで、清潔感とリゾート感覚を醸し出している そして、会社分割によって㈱ピソラが誕生した。このとき資本家として参画した人物が廣瀬周栄氏であった。廣瀬氏は、串カツ田中ホールディングス(HD、現ユニシアHD)の代表取締役会長兼社長の貫啓二氏と親しい人物で、この会社分割がきっかけとなり、串カツ田中HDとのご縁が生まれた。オーダーや会計は、入店時に渡されるQRコードで行い、会計はセルフレジだが、スタッフが寄り添ってお見送りを丁寧に行う しかしながら、ピソラが設立してから、すぐにコロナ禍となった。営業は厳しい状態となった。とは言え、コロナがあけたタイミングで、2021年から出店を再開していった。このとき鬼界氏は、自分で資金調達をして、自分で連帯保証人となって、「100坪の店をつくっていこう」と心に決めた。鬼界氏は、こう語る。 「例え投資がかかっても、大きな店舗の方が、客席もたくさんつくることが出来て、たくさんのお客様にご利用していただくことが出来ました。こうして『ピソラ』は大層繁盛して、出店していきました」 そして、ピソラは上場を目指して、外食産業を志すようになった。この最中に、串カツ田中HDの貫氏からM&Aの話をいただくことになった。(次回、最終回は、7月30日に公開)