『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について語る。外食の起業家「花光雅丸」の「subLime」から「beagle」へ事業方針を大転換した背景とは(2回連載:第1回)今回は、コロナ前と、コロナ後で、業容の路線をガラリと変更した飲食業経営者のお話。これを、今回7月2日と、次回7月9日の2回にわたって論述する。この人物とは、花光雅丸(まさまろ)さん(45歳)。青山学院大学卒業後、故郷の和歌山の海水浴場で屋台バーを始めた。その後上京し、当時「牛角」をはじめとした業態によって著しく隆盛していた株式会社レインズインターナショナルに入社。ちなみに、この当時、同社の隆盛ぶりに魅力を感じて入社して、その後外食の起業家として活躍している人物はたくさん存在する。同社を退社した花光さんは、2005年11月、東京・吉祥寺に創業店舗となる屋台バー「subLime吉祥寺本店」を開業した。このお店はホテルの裏口に在り、素朴な存在感は吉祥寺の若者を引き付けた。筆者は当時『飲食店経営』の編集長をしていて、この話題を聞きつけて同店を訪ねるようになった。当時、筆者が不思議に思っていたことは、この屋台バーの「トイレ」であった。屋台であるからトイレはない。そこで、この屋台のお客はホテルの裏口からホテルに入り、ホテルのトイレを利用する。「こんな都合のいい話を、ホテル側が容認するものだろうか」と。花光氏は当時20代半ばであったが、高校生のような風貌で飄々としていた。この人当たりの良さが、周りの大人との垣根を低くしているのだろうか。筆者はこんなことを感じていた。そして花光氏は、2006年6月に株式会社subLime(以下、サブライム)を設立。その後、花光氏は著しく速いスピードで事業を拡大していった。2010年代に次々と外食チェーンを買収していく花光氏のサブライムが、業容を拡大していった沿革はこのような内容である。2011年:RHコーポレーション(アイスクリーム「レインボーハット」などを展開)2012年:レインズインターナショナルから事業譲受(「焼魚食堂 魚角」など)2013年:八百八町(居酒屋チェーンを展開)2015年:北の家族(居酒屋チェーンを展開)2017年:ティ―ケーエス(居酒屋チェーン、回転すしなどを展開)2018年:牛の達人(焼肉店を展開)八百八町、北の家族、ティ―ケーエスといった、大衆居酒屋チェーンを買収した(画像は「北の家族」のイメージ)同社は、100のブランド、500の店舗数を有する外食企業となった。そして2019年11月、株式会社カフェ・カンパニーと経営統合して、持株会社であるGYRO HOLDINGS株式会社の傘下となった。カフェ・カンパニーとは、カフェ業態の会社で、両社が経営統合することによって、「外食産業の中に、一大勢力が築かれる」と展望していたことであろう。しかしながら、GYRO HDは、2021年11月、ファンドであるPAGの傘下となった。この間の流れは、コロナ禍の影響を大きく被ったことが明らかだ。そして、花光さんは表舞台に出てくることはなかった。その後、花光さんは2024年11月に株式会社beagle(以下、ビーグル)を設立。飲食店を急ピッチで展開していく。2024年の暮れからPRtimesに、同社の活発な活動内容を報じていた。25年に入り、客単価2万円を超える高級レストラン(同社では「ハイエンドレストラン」と呼ぶ)を、毎月出店していた。2026年4月末の段階で17店舗となっている。そして筆者は、この4月末に花光さんに取材することが出来た。10年ぶりの再会であったが高校生のような風貌で、飄々とした雰囲気に変わりはなかった。既存の業界には存在しない「崇高な」世界観を追求「サブライム」の意味は「崇高な」ということ。これを花光さんがひらめいたのは23歳のときで、以来、事業拡大の志はこの社名と共に存在していた。花光さんは、創業してからブログで自分の事業のビジョンを綴っていた。その内容は、まさに既存の外食産業には存在しない「崇高な」、そして、毅然とした内容のものであった。この内容に感化された人材が入社するようになり、同社の人材力は高まっていった。筆者も、花光さんがFacebookで公開する、外食チェーンを買収することになったきっかけや、その経緯について興味深く読んでいた。特に、2013年の八百八町の買収については、花光さんの外食産業へのリスペクトと、自ら外食の歴史を継承していくことへの情熱を感じた。「八百八町」とは、つぼ八創業者である石井誠二さんが展開した居酒屋チェーンである。1973年に札幌で立ち上げて、1980年代に大衆居酒屋ブームを巻き起こして業界を牽引した。石井さんは「居酒屋の神様」と称された。花光さんは、このような石井さんの歩みと居酒屋業界の成り立ちを大いにリスペクトしていて、自らの役割の重さを述べていた。それについて、筆者は大いに好感を抱いたものである。しかしながら今回の取材の中で、花光さんは、サブライムが当時行なっていたことを、率直に「失敗だった」と語った。その背景とはこのようなことである。「僕らがチェーン店の買収を進めたのは、『店舗を増やしていくことで、世の中に価値を生み出す』ということを目標にしていたから。そして『社員を幸せにする』と。これが、僕らの『挑戦』でした」コロナ禍となって、「ひずみ」が一気に露呈した確かに、店数は勢いを増して増えていった。しかしながら、「事業の中身はパッチワークの状態になっていた」という。「基幹業態」というものが存在しないで、「投資と回収のフルベット」の状態。こういうことを、それぞれの責任者に任せていた。それぞれの人材には、組織に対する帰属意識や企業文化を醸成する想いというもの存在していなかった。「経営の側がきちんと旗を立てるべきだったのに、それができなかった」(花光さん)と。そこに「コロナ禍」である。これらのひずみが一気に露呈した。花光さんは、こう語る。「ただし僕は、『コロナとは人災だ』と思っています。この悔しい思いのすべてを『執念』というパワーに置き換えて、新しい事業に取り組んでいるのです。『次は失敗できない』と」subLimeから転じてbeagleを立ち上げた外食経営者の花光雅丸さん新しい「ビーグル」という社名は、ダーウィンがガラパゴス諸島に立ち寄ったときの船の名前である。ダーウィンは、この船によって『進化論』の着想を得た。「そこで僕らは『サブライム号』から『ビーグル号』に乗り換えて、世の中で進化し続ける組織をつくっていきます」(花光さん)。「サブライムが失敗したのは、『資金』や『知識』の不足という側面が大きかった。想いだけでは仲間を守れない、と痛感したのです。ですから、ビーグルを立ち上げるまでの3年間は、財務や経営の勉強を徹底して行いました。」「こうして、会社がお客様に『本物』を提供し続ける環境を守り、何か不測の事態が起きたときには、会社と個人の体力で仲間を守り抜ける。そんな安心感があってこそ、組織は本当に強くなれるのではないか、と思っています」「だからこそ、弊社は一店舗一店舗『良い店をつくっていこう』という方針にしました。2024年11月にビーグルを立ち上げて、いま17店舗(2026年4月末)になりました」このように花光さんは語り、新しい飲食業が目指している骨子を語ってくれた。そこで、いまビーグルが行なっている具体的な事業の内容と、その展望について、次号で紹介する。(次回は、7月9日に公開)