『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について綴る。坪月商147万円!圧倒的な生産性を築く居酒屋の秘訣KIWAMI(本社/川崎市中原区)飲食業を手掛けて10年、坪月商最高記録147万円に至る創業時代第1回(この連載は全10回)川崎の「武蔵小杉」は「タワマンの町」である。一方で、昭和の雰囲気が漂う商店街も存在する。このように武蔵小杉は「未来都市」と「戦後復興」が合体したような町だ。また、大きな商業エリアの渋谷や横浜にも15分足らずで行くことができて、タワマンが林立している理由がよく分かる。 この町に「鮮度の極み 魚もつ」(以下、魚もつ)と「炭火串焼と旬野菜 きわみ」(以下、きわみ)という繁盛店がある。前者は20坪で最高月商1400万円、後者は8坪で1200万円。最高坪月商を見ると、前者は72万円、後者は147万円となっている。飲食店は一般的に坪月商30万円を売っていると「まずまずの繁盛店」と言われている。しかしながらこの二つの店は、このセオリーを大きく上回っている。 この二つの繁盛店は、どのようにして出来上がったのか。このような繁盛ぶりを築くとどのような現象が顕れるのか。これから10回の連載で述べていきたい。 参考:KIWAMIでは、2023年4月横浜駅から徒歩5分の場所に「四代目 原田商店」をオープン。同店は「きわみ」と同じ業態。9坪で家賃は72万円(坪単価8万円)、最高月商1100万円、最高坪月商120万円となっている。KIWAMIは2024年4月末段階で3店舗体制。 市場性が豊かな「武蔵小杉」に着眼する武蔵小杉で、この「魚もつ」と「きわみ」を経営しているのは株式会社KIWAMI(本社/川崎市中原区、代表/阿波耕平)である。創業したのは2014年11月、会社設立は2016年4月。武蔵小杉で事業が走り出して10年という若い会社。代表の阿波さんは、1986年5月生まれの39歳。阿波耕平氏さんは39歳。中華料理人、ぐるなび営業マンと歩んできた 阿波さんは北海道札幌市出身。地元の調理師専門学校を卒業後、東京・西新宿にある京王プラザホテルの中華料理レストラン「南園」に勤務。2011年6月に退社し、12年3月ぐるなびに入社、横浜営業所で営業マンとして勤務。14年3月、ぐるなびを退社。その後、飲食企業に勤務。14年11月に独立し、川崎・武蔵小杉に創業の店舗を構えた。阿波さんが、飲食業で起業するエリアとして「武蔵小杉」を狙ったのは、ぐるなびで営業マンをしていた当時に学んだことが背景にある。阿波さんは南武線の稲田堤から平間あたりまでを担当して、400人ほどの飲食経営者と知己を得た。このような交流の中で、「武蔵小杉には赤字店舗がほとんどない。特に業績が良いのは個人店」であることを知った。そこで、ぐるなびを退社してから飲食店に勤めるのだが、この間に武蔵小杉の経営者を訪ね歩き、情報収集を行い、その半年後に武蔵小杉での独立開業に踏み切った。創業の店の物件は、武蔵小杉の飲食店経営者で、ぐるなび時代にお世話になった足立浩伸(あだち・ひろのぶ)さんから紹介された。そこは元うどん屋で当時休業中。器など調度品がすべてそろっていて、休業中の店をそのオーナーに家賃相当分を支払うことで営業できた。つまり、物件取得費がかからないで、この物件を引き継ぐことにできた。創業店舗の看板メニューは「朝締めのもつ」とした。 創業店舗の店名は「もつ屋じゅうに12」。武蔵小杉駅からも新丸子駅からも共に徒歩13分程度の場所。この数字の距離感を見ると、「お客さんは大丈夫か?」と思われるがお客は潤沢に存在する。筆者も実際に同店を訪ねたが、金曜日の夜は満席で入店するのは難しいほど。それだけ「タワマンの町、武蔵小杉」は市場性が厚いということだ。創業店舗で「坪月商の高さ」の意義を知る阿波さんが、「坪月商の高さ」を経験したのは、この創業店舗でのこと。創業してから13カ月が経過した2015年12月に「月商430万円」を記録した。このとき利益が130万円となった。このように、オープンして1年とちょっとで、爆発的な繁盛店になることが出来たことには、その要因が存在する。それは、従業員の給与の仕組みである。同店の従業員は2人で、阿波さんを含めて働き手は3人。阿波さんは「この店は、月250万円は絶対売れる」と想定して、自分も含めて月額給与は1人25万円を最低保証とした。25万円は250万円の10%で、×3人で「人件費30%」となる。飲食業の経営指標のセオリー通りである。この店の客単価は約4000円。この店に4人組のお客が来店すると、売上が1万6000円となり、自分の給料は1600円アップすることになる。これが、従業員にとって、働くモチベーションを強烈に湧き立てた。一般的に、飲食店のサラリーマン従業員は、閉店間際にお客がやって来ると「当店は間もなく閉店ですから……」と、お客の入店を断るパターンが多いのではないか。しかしながら、阿波さんの創業店舗の従業員は、いわゆる歩合制であるから、閉店間際のお客がやって来ることは、むしろ大歓迎の場面だ。ほかの店から「閉店でお断り」と、たぶん言われて、同店にやってきた4人組に入店していただくと、お客から大層喜ばれ、自分の給料が1600円上がるのだから。同店は武蔵小杉で新参者であったが、このような同店の対応は、地元のお客から「感じがいい店」ということで、瞬く間に良い評判が広がっていった。これが、前述の繁盛現象をもたらした。そして、お通しは「枝豆食べ放題」。看板メニューは「もつの刺身6点盛り」。これは一皿で100gくらいのボリュームで1280円。原価率は15~16%。これで、「お客は喜ぶ、店は儲かる」という循環が出来上がっていった。阿波さんは、この10坪の店で「月商430万円、利益130万円」に達したときに、「これだったら、人件費も原価も、広告宣伝にも、お金がじゃんじゃんかけられるじゃないか!」と、そんな世界観に目覚めた。「坪月商40万円あると、何をやってもオッケー」ということに気付いた瞬間である。その意味については、この後の連載で論述する。 繁盛店2店舗となるが、コロナで大きく転換創業の物件を紹介してくれた足立さんは、元すし職人で鮮魚を扱う和食の居酒屋を経営していた。結構な繁盛店となっていた。その経営者から「一緒に店をやらないか」と相談を持ち掛けられた。そして、共同経営者となる。 こうして2016年4月、20坪の「魚もつ」が創業店舗と同じエリアに誕生した。そこで、足立さんが得意な「鮮魚の刺身」と、阿波氏が得意な「もつの刺身」を合体した看板メニューの「極み盛り」が誕生する。 KIWAMIの不動の看板メニュー「極み盛り」「極み盛り」は、すぐさま「看板メニュー」の風格を現わしていった。それは「鮮魚の刺身」は原価が高く、「もつの刺身」は原価が低い。これを一皿の盛り合わせることによって、豊富なバラエティ、ボリューム感、そして「安さ」を感じさせる価格によって、強烈なお値打ち感をもたらした。 いま、「極み盛り」の価格は1人前が899円、3人前で2697円。食材が高騰しているので原価率は60%あたりとなっているが、お客の95%が注文することから、「極み盛り」は利益を大きく生み出す、不動の看板メニューとなった。しかし、ここにコロナがやってきた。それと共に、KIWAMは大きく転換することになった。まず、コロナ禍にあって「魚もつ」を営みながら、「もつ屋じゅうに12」の営業を続けることが人員的に困難になり、「もつ屋じゅうに12」は休業した。そして、八ヶ岳で農業を営んでいた足立さんのご両親がご高齢となり、足立さんは八ヶ岳に帰ることになった。 KIWAMIでは、この後に述べる「もつ」を主力商品とした8坪の「きわみ」を2021年7月にオープンするのであるが、このオープンに備えて、隣町の新丸子のもつ屋さんで店長をしていた加藤拓翔(かとう・たくま)さんに、もつの焼き方を教えてもらった。この店に、いまKIWAMIで営業部長をしている焼鳥職人の梅津善樹(うめつ・よしき)さんが、もつ焼きの技術を学ぶためにアルバイトをしていた。 その後、加藤さんはKIWAMIの社員となった。そして、独立志向の加藤さんには、コロナで休業していた「もつ屋じゅうに12」を任せることになった。次回からは、このコロナ禍にあって、KIWAMIが店を繁盛店にするために培った「料理と接客で勝つ!」という路線の、具体的なノウハウについて述べたい。最高「坪月商72万円」の前に立つ阿波さん