『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について綴る。「居酒屋甲子園」の絆でつながった「炉ばた焼き」繁盛店の系譜――㈱Sunrise(川崎市川崎区)の場合第3回(この連載は計3回)「いま、炉ばた焼き業態の元気がいい」――この現象を深掘りしようと企画した連載の第3回である。 ここで述べる「絆」とは「居酒屋甲子園」である。居酒屋「てっぺん」の創業者である大嶋啓介氏がリーダーとなって2006年より始まったこの活動は、全国的な飲食業界の勉強会として、多くの若手経営者に大きな影響をもたらした。「共に学び、共に成長し、共に勝つ」を旗印にした活動は、全国に次々と繁盛現象をもたらしている。 そこで、本連載の第1回は、大嶋啓介氏が立ち上げた「てっぺん」の立ち上げメンバーで、そこから独立起業した「絶好調のてっぺん」の吉田将紀氏の「炉ばた焼き」のビジョンをまとめた。 そして、第2回は、吉田氏の「絶好調のてっぺん」の立ち上げメンバーで、表に立ちかつ裏方として「絶好調」の成長を支えた國利翔氏が2012年8月に、絶好調の独立支援を受けて、「絶好調」がドミナント展開する東京・西新宿に居酒屋エリアとしての深みをつくり上げた。 ちなみに、「絶好調」の吉田氏も、「國屋」の國利氏も、これまでの居酒屋甲子園の全国大会に登壇している。 さて、今回の第3回では、居酒屋甲子園の学びの交流の中から、友好的環境を築いて、これらで展開している「炉ばた焼き」の繁盛ぶりに感銘を受けて、「自分たちのやってみたい」と教えを仰いで、実際に繁盛店をつくり上げたというお話である。地元・川崎に「炉ばた焼き」のお店がないこの会社は、川崎市内に本拠を置く株式会社Sunrise(代表/菊池厚志)である。同社代表の菊池氏(35歳)は、地元・川崎で、飲食を経営する祖父、そば店を経営する父の元で育ってきた。20歳となって、「自分は飲食業で生きていく」ことを決意して、その分野の経験を重ねるようになった。菊池氏は24歳のときに川崎で独立するのであるが、その前には東京・学芸大学で、業務委託で店舗を運営していた。川崎が地元の菊地氏にとって、このときはじめて川崎以外で生活をした。そこで、菊池氏は川崎のことを客観視するようになり、「川崎って、すごい町だな」と思うようになったという。 その理由は、まず川崎は人口が多い。しかしながら、川崎には飲食店が少ない。自分は、川崎のことを熟知しているわけだから、ここで飲食を起業しようと考えた。また、東京で成功した人が、神奈川に行って商売を広げようとした場合、大抵が川崎を飛び越えて横浜に行ってしまう。「それは、なぜか?」と菊池氏が解説してくれたのは、「川崎はそもそも飲食店が少ないので物件が取りにくい。そして、治安が良くないというイメージがあるのでしょうか。そんなことはまったくありませんけど。そこでこれまで川崎には、強い飲食の中小企業というのが存在していなかった」ということに尽きる、と考えている。代表の菊池氏は、飲食店を営んだ祖父、そば店を営む父の元で育ち、それぞれの業種をリスペクトしているさて、菊池氏は2014年に飲食業を起業した。独立するときに「5年間で5店舗やろう」と目標を立てた。そこで、「川崎にない店をやろう」と考えた。そこでひらめいたのは「炉ばた焼き」業態であった。この当時、菊池氏は「居酒屋甲子園」の活動をはじめるようになった。ここで活動をしていく中で親しくなった國屋の國利翔氏(第2回の主人公)が、東京・西新宿で炉端焼きの『ろばた翔』を経営していた。そこで、菊池氏は國利氏にお願いして同社の従業員と一緒に、そのお店を手伝って、炉端焼きの勉強をした。こうして2018年1月に京急川崎駅の近くに『魚炉魚炉』をオープンした。コロナ真っ盛りで「炉ばた焼き」の戻りが速い店名の「魚炉魚炉」(ぎょろぎょろ)とは、音としても漢字の視覚的にも記憶に残りやすい。この店名のきっかけは、菊池氏によると、「『魚と炉ばた焼き』という業態であるということを突き詰めて考えていって、『魚炉魚炉』だ」と、すんなりと決まったという。 炉端焼きのお店の一番の魅力は、何といっても「ライブ感」である。これは、Sunriseという会社にとって「商売の軸」となっていった。同社の店舗はコロナ前まで8店舗あったのだが、コロナになって4店舗まで減らした。飲食業は、店舗という固定資産をつくって商売をする、というビジネスモデルである。投資をして、それを潰す、というのは、とてつもないダメージがある。そこで、菊池氏はじめSunriseの経営幹部は考えた。「これから、どうしようか」と。コロナの中で「フルーツサンド」も手掛けた。その経験から、菊池さんはこう語る。「でも、自分はフルーツサンドをたくさん食べることができません。そこで、自分が大好きな食べ物の店をやらなかれば駄目だ、と。そうでなければ、店の調子が良くないとき、その改善点が思い浮かばないですから」 コロナ禍にあって、さまざまな施策を重ねていたが、この当時、京急川崎の「魚炉魚炉」の戻りが早かった。そこで、菊池氏は「日本人は和食の店が大好きだし、海鮮居酒屋というのはいつの時代も存在した」と考えるようになった。「炉ばた焼きは得意な商売だ」と認識するそこで、コロナ禍にあっても、「魚炉魚炉」を基軸とした経営方針で攻めていくようになった。まず、2020年11月に『魚炉魚炉 総本店』を出店した。ここは新築物件で38坪の規模。コロナの真っただ中であったが、「得意な業態で商売を始めよう」と、営業を開始した。コロナ真っ盛りの2020年11月、38坪の新規物件の中にオープンした「魚炉魚炉 総本店」。この英断が、同社の軸足を強くした大きな物件で営業するのは、大きな決断が必要であったが、このような物件で商売をしようと考える人は少ない。これが逆に、同社にとって有利に作用したようだ。また2024年5月、その近くに「川崎 魚炉魚炉寿し」をオープンした。これによって、「魚炉魚炉」の認知が広がっていった。その認知が広がったポイントは、それはまず、新たに「魚炉魚炉」ブランドを2店舗出店した川崎駅近くの仲見世通りは、京急川崎の場所よりも、飲食店街が充実していて、川崎の人にも良く知られたエリアにあること。そして本店は、川崎にない丸型のカウンターをつくったこと。これが斬新なイメージをもたらした。また、店は16時にオープンにして、16時から19時までを「オイスターアワー」として、Sサイズの生ガキを1個99円(税別)で提供した。この取り組みを行なったことで、この時間帯の集客が増えるようになった。材料もいいものを使うようにして、意図的に客単価を上げるようにした。いま5000円程度になっている。さらに、これまで同社が手掛けてきて「強み」と認識している業種を集めた新業態を、この2月にオープンした。店名は「富治」、場所は、川崎の仲見世通り「魚炉魚炉 総本店」の向かい側である。菊池氏はこう語る。「この業態は、海外出店を見据えたものです。当社は、コロナをきっかけに『和食しかやらない』と決めました。さらに当社では、これまでの展開によって、『炉ばた焼き』も『すし』も『そば』もできる。このように和食のあらゆるものがそろった『ザ和食』という業態で、海外で勝負しようと考えています」 「居酒屋甲子園」の活動を共に行う過程から、「炉ばた焼き」の有望性に引かれるようになった3つの事例を述べてきた。この業態はさまざまな形で磨かれていき、より強い業態に成長していくものと感じた。海外展開を見据えたモデル店舗である「富治」は、「和食路線」にシフトして得意となったメニュを集めている