『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について語る。「100年の歴史」を持つ「玉寿司」が「100年を見据えた」巨大施設に出店した「人間力」の狙いとは(この回のみ)JR品川駅とJR田町駅の中間で開発が進められていた「TAKANAWA GATEWAY CITY」が、3月28日にすべて完成した。JR高輪ゲートウェイ駅と都営三田線泉岳寺駅に挟まれた至便なアクセスの中に、敷地約7万4000㎡、延床面積約84万5000㎡と膨大な施設群で構成されている。「100年先を見据えて、環境先導のまちづくり」を標榜し、オフィス、ホテル、商業。住宅、子育て支援施設、コンベンション、展示ホール等々、ありとあらゆる都市機能が整っている。これらの中で、最後に整った施設が「ニュウマン高輪 MIMURE」で、飲食店をはじめさまざまなショップで構成されている。この中にオープンした株式会社玉寿司(本社/東京都中央区、代表/中野里陽平)の「鮨 上ル 高輪ゲートウェイ店」は、同社としてはスクラップ店舗も含めると80店舗目で、同社にとって格別な想いを持ってつくり上げたお店である。その同店に寄せた想いを、同社代表で4代目の中野里陽平氏(53歳)の談話と、過去の筆者の取材をもとにまとめてみたい。創業100周年の節目に「復興の象徴」をつくる玉寿司が創業したのは大正13年(1924年)、いまから2年前に100周年を迎えた。その記念の意味を込めて、2022年11月東京・築地本店の2階に「鮨 本店上ル」をオープンした。ここは以前宴会場として稼働していたスペースで、それを約40坪弱、19席のゆったりとした店舗に改装した。高輪に出店した「鮨 上ル 高輪ゲートウェイ店」は、そのブランドの2号店の位置づけとなっている。この陣頭指揮を執ったのは4代目の中野里氏である。4代目はすし文化と「廻らないすし店」としての商売を独自のスタンスで守り通している4代目は「鮨 本店上ル」「鮨 上ル」をつくった想いについてこう語る。「築地本店の場所は太平洋戦争のときにB29の焼夷弾によって焼け野原となりました。ここから玉寿司の復興をやりきったのは私の祖母である『中野里こと』です。この地で商売を続けてきたのはわれわれにとって誇りであり、魂が宿っています。そこで、ことの世界観を表現したいと考えていました」玉寿司を創業したのは中野里栄蔵氏とこと氏の夫婦。しかしながら、栄蔵氏は1945年49歳で他界した。こと氏は「玉寿司を頼む」と栄蔵氏から言われ、39歳で玉寿司の2代目となり、4人の子供を育てながら女性板前と経営者となってお店を復興させた。「玉寿司」の創業者が他界した後、1945年39歳のときに継いだ、同社2代目の中野里こと氏「鮨 本店上ル」店内には余計な装飾がない。カウンターは一枚板ではなく古材をつなぎ合わせたもの使用。ここに「質素」の思想がある。壁には大木の幹をイメージした力強い油絵が飾られ商売復興の情念として伝わってくる。2022年11月、築地にある「築地玉寿司」本店の2階に設けられた「鮨 本店上ル」「鮨 本店上ル」は完全予約制でメニューは「店主のおまかせコース」のみ。板前が丁寧にすしをにぎって目の前のお客に食べていただく。同店はオープン以来予約客で盛況。コロナ禍にあって、外食市場の中に「完全予約」「客単価2万円」という新しいマーケットを切り拓いた。回転すし店が増える中で「廻らないすし」にこだわる4代目が社長を引き継いだのは2005年2月、32歳の当時。しかしながら同社の経営状態は順風満帆というものとは程遠いものだった。2000年当時の同社には「バブル」という時代の傷跡が大きく存在した。経営判断の一つの誤りによって、大きな負債を背負ってしまった。4代目は会社が再生を果たす上で、とにかく「良い会社をつくりたい」と考えた。社員がいきいきと働き仕事に誇りが持てる会社にしたいと、常に念頭に置いた。規模は大きくなくても筋肉質の会社、脆弱な経営体質を何年かけても強化していこうと考えた。「100年、150年の経営を見据えて取り組んできました。心のこもった一貫のおすしは廃れることがないという確信がありました」と4代目は振り返る。すしの業界では「回転すし店」という低価格で訴求する業態が勢力を増してきた。しかしながら、同社ではあくまで「廻らないすし店」にこだわってきた。同社の主力業態「築地玉寿司」は、百貨店の顧客にとって「プチ贅沢」といった存在感で3000円台、4000円台のメニューが映える。またすし居酒屋の「築地すしくろ」といった形で、すしをお客が仲間と一緒に、日常の贅沢をよりカジュアルに飲んで食べるという業態。さらに食べ放題のお店を若者が集まる商業施設で営業している。そして、前述した「鮨 本店上ル」のことを4代目は「隠れ家的な大人すし店」と呼んでいる。「いずれの業態でも、当社のすし店が軸としていることは職人が目の前にいるお客様のために握る、ということです。そして、仕事は『難しい』ということが重要。これによって従事している人がもう少し頑張ろうと思い、成長を実感できる環境となり、参入障壁も高くなります」(4代目)「鮨 上ル」の個室の中にも、同社の復興を象徴する大木の絵が飾られている「玉寿司大学」で「技術力」と学び合う環境を培う玉寿司では、現社長4代目の方針によって「廻らないすし店」にこだわってきた。これらを支える「技術が備わった会社」「誇りを持って働くことのできる会社」にしていくために、4代目が構想を温め、それを実現しているのは「玉寿司大学」である。「玉寿司大学」とはこうなっている。玉寿司の新卒採用は例年10人前後で、基本的に男女とも「調理師」として採用している。「玉寿司大学」とはこの新卒をきちんと育てることを目的に2017年に設立した。ここで身に付けてもらうことは「技術力」「接客力」「人間力」である。一般的に2~3年かかる教育内容をカリキュラムに落とし込み100日間で習得できるようにした。これが終了し、検定試験を受けて、合格すると晴れて現場に出ることができる。「この段階では、免許証をもらったばかりで、まだ初心者マークがついているような状態。そこからは、自分が実際にカウンターに立って、実地で本当のお客様に鍛えられていく。このような環境が整いつつある」と4代目は語る。「玉寿司大学」は、なぜ必要だと考えたのか。「これまで新卒が入って面倒見のいい店なら新卒も成長するのですが、面倒見がよくない店の場合には若い子は面白くないと感じて辞めていくということがありました。しかし現場に責任があるわけではなく、余裕がないということが原因です。若い子にとって練習時間がなく、ずっと試合をしているという感じになってしまいます」「そこで、練習時間をつくるために『大学』の構想を発案しました。これは新卒に給料を払って学校に通わせて、という具合に会社が100%負担することになります。ものすごい先行投資がかかりますから、この構想は会社の財務体質をよくしてからでないと実現することができない。そこで構想が浮かんでから実際に開校するまで10年近く時間がかかりました」「玉寿司大学」は、玉寿司にとっていま、大きな効果をもたらしている。「開校当初は社内の腕のいい板前さんがメイン講師を務めていましたが、いまはここの卒業生が講師を務めています。ちゃんと論理立てて教えることによって、自分自身のスキル向上につながっています」玉寿司のプロパーであるすし職人が仕事をしている様子には「学び合う」環境が感じられる「100年先を見据えた」場所で、100年先もすしを提供「鮨 上ル 高輪ゲートウェイ店」が、「おすすめのメニュー」の一番に挙げているのは「天然鮪づくし、食べ比べ5貫」2750円(税込)である。これは、世界最北の漁場であるアイルランド沖で水揚げされた天然マグロを中心に仕入れているもの。北緯50~60度の極寒の海域で育まれたマグロは、水温の低い荒海で鍛えられることで、緻密な肉質と上質な脂の旨みを兼ね備えている。これを、「中トロ」「秘伝のたれづけ鮪2貫」「ゆず味噌漬け鮪2貫」で構成している。ほかに、「とろたく巻」660円、「しらす海苔の座布団すし」700円、「のどぐろ焼き挟み巻」1430円などを挙げている。これらをはじめとしたメニューは、玉寿司の「教育的環境」によってもたらされた、従業員同士の連携や清々しい空気感の中で提供される。4代目の談話によると、今回の出店は、「100年先を見据えている」デベロッパーが、同社の創業100年を超える経営の伝承を着眼し、同社としては「これから100年、すしを提供していく」という志を描いたことが背景にあるという。4代目は「デジタルが進む世の中であっても、われわれは心を込めて鮨を握り続ける」と語り、これまで培ってきた玉寿司の存在価値を示していきたいとしている。「鮨 上ル」高輪ゲートウェイ店は、約50坪弱で47席(カウンター12席、テーブル28席、個室7席)