第3章 ~1990年代後半から2010年あたりまでFCブームを駆け抜けた「ベンチャー・リンク」と「BSE」に揺れた時代その②(この章は全体5本)急速に成長したことが逆のベクトルを生んだ前回で述べたとおり、ベンチャー・リンク(以下、VL)ではFC開発支援サービスを高度に整えていった。その同社が失速するようになった。なぜだろう。それはまず、VLがFC開発代行、SV代行を行っていた草創期からの主力ブランドである「サンマルク」や「牛角」がVLとの契約を解消した。「サンマルク」や「牛角」側では「自社でFC開発やSVを行う能力が備わってきた」と言っていた。次に、急速に広がっていたFC加盟店開発が突然停滞した。それはFCの加盟権利を購入したが、出店できないところが続出したためと言われている。さらに出店することができたとしても、多くのFC加盟店の業績が振るわなかった。おそらく、FC加盟獲得を急ぐあまりに、過大な売上予測を示し、実際にオープンしてみると売上予測に全く届かないという事例が多くなっていたのではないだろうか。これらの要因は、FC加盟店開発の急速なすスピードが逆のベクトルをもたらした結果と言えるのではないか。FC開発支援の中でSV代行はとても重要なポイントである。「ガリバー」でこのノウハウを築いたということだが、加盟店開発が次々と進んだためにこの部分の能力が手薄になっていったと思われる。そして旧商号㈱ベンチャー・リンクである㈱C&I Holdingsは、2012年3月12日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。飲食業界を台風のように駆け抜けたVLであるが、この実働期間に一線で活躍した旧社員たちは、VL当時のドッグイヤーで培った能力が、新しい世界の実務で発揮され、高く評価されている。「彼は元VLだから」という具合である。 「FCで焼肉店を開業したい」という思惑が頻発2001年に入って、筆者が編集長をしていた『飲食店経営』編集部にある現象がみられていた。それは、読者からの問い合わせの中に「焼肉店をFCで開業したい」という趣旨のものが目立って増えてきたのである。次に、電話をかけている人は飲食業が本業でないということも分かってきた。大きい企業の人はホームセンターなどのノンフードの新規事業担当者。そうでない人は、個人事業ではない、商店街に複数店舗を構えている小さい会社の経営者であった。筆者が、電話の相手に「なぜ焼肉店のFC加盟を希望するのか」と質問すると、みなこのように答えていた。「焼肉店は料理人を雇わなくてもいい。お客様が自分で焼いてくれる。そして、飲食店はお客様が来店すると必ず食事をしてくれる。食事をすると在庫が回転する」「ノンフードの場合は、お客様がいま持っているモノが使えなくなるほど老朽化したり、壊れたり、またすぐに必要になったという以外は、来店して購入してくれる可能性は低い」ほぼ、このような内容であった。そこで、『飲食店経営』ではこの年(2001年)の前半に焼肉店特集を3回行った。焼肉店は特集を行うと、部数は通常号に対して500冊がオンされた。「こんなに頻繁に焼肉特集をしなくても……、焼肉店以外にいろんな業種があるんだから……」と忸怩たる思いはあったが、焼肉店特集は必ず売れた。それほど焼肉店を開業したい事業者が2001年当時にたくさんいたのである。 ここの本題に入る前に、焼肉店特集で紹介した内容をざっくりと紹介しよう。まず、焼肉特集第1弾の2001年1月号は「焼肉屋さかい」。岐阜で立ち上がった同チェーンは、2000年12月東京・銀座に出店して東京圏に進出。同社会長の坂井哲史氏は、「いい人材、いい立地、いい仕入れは、東京圏進出が解決すると」と意気を上げていた。次に、「一番カルビ」。同店は㈱物語コーポレーションの新業態として1995年12月に1号店をオープンして、低価格競争とは一線を画したクオリティの高さでファミリーへの訴求に余念がなかった。スーパー銭湯の敷地にあり、風呂上りのBGMがレゲーというのが斬新で親近感を高めた。このほかに、純粋な広告と記事広告が計18ページ入った。焼肉店特集第2段の3月号の内容は詳しく後述するので、第3弾の7月号の内容を先に紹介する。ここでは「韓国色」を強めた特集にして、巻頭に「眞露ジャパンの外食戦略」と題しアルコールメーカーが焼肉直営店を出店した背景について紹介。さらにチェーン展開を目指している「タッカルビ」専門店を紹介。また、内臓肉のバラエティ豊富にしたり、接客を対面方式にした焼肉店を紹介するなど、「メニューや食事の動機などのバリエーションによって焼肉店成功の可能性が広がる」という趣旨でまとめた。ここでも広告関連は22ページ入った。このように、焼肉店特集は広告収入獲得にも大きな効果があった。ベンチャー・リンクによって「牛角」が急成長さて、ここで本題の3月号である。ここの焼肉店特集のメインは「炭火焼肉酒家 牛角」(以下、牛角)である。牛角の1号店は1996年1月だが、2000年12月の段階で234店舗となっていた。1号店から5年で200店舗突破である。そのスピードの速さには、ベンチャー・リンク(VL)の存在があった。「牛角」を展開する㈱レインズインターナショナルは、前身は創業社長の西山知義氏が手掛けた不動産業の㈱レインズホームである。西山氏は子供のころから事業家を目指していて、「不動産業なら独立しやすいだろう」と思い、この事業を始めたという。不動産業で営業マンを雇用する中で、不動産業界のプロパーは職人的な気質の人が多いことで悩んでいた西山氏は、時給600円(当時)のアルバイトも正社員と変わりなく同じクオリティの商品をつくっている「マクドナルド」の仕組みに興味を持ち、日中不動産業を営みながら、夜「マクドナルド」でアルバイトするようになった。いざ「マクドナルド」で働いてみると、商品づくりの仕組みではなく、アルバイトをやる気にさせる人事評価の仕組みや、お客に対する考え方が高度に一貫していて、ここから多くの学びを得たという。当初は、「マクドナルド」で学んだことを不動産業で生かそうと考えていたが、不動産業での差別化は、商品ではなく人と人との付き合いで生まれるという現実があった。そこで、飲食業を起業して「マクドナルド」の仕組みを活かしていこうと考えた。飲食業の中で焼肉店を選んだのは、焼肉が好きだったことも挙げられるが、当時の飲食業界の中でも焼肉店業界が立ち遅れていることを察知して、そこにビジネスチャンスがあると感じ取ったからだという。「焼肉店業界は5000億円と巨大な市場であるにも関わらず、総店舗数の4分の3が個人営業であり、商品、価格、サービスなどで満足のいくレベルに達している店が少なく、これから新規に参入して差別化できるポイントが幾つも考えられた」(西山氏)という。また、西山氏も焼肉店に「料理人がいらない」という業態特性に魅力を感じていたという。ここが前述した「FCで焼肉店を開業したい」というノンフードの事業家をはじめとした需要に供給がマッチして、FCを公募するようになった「牛角」は急速に展開するようになった。――次回、2月6日に公開。