『フードパーパス』編集長の千葉哲幸が「いまどきの」繁盛店や繁盛現象をたどって、それをもたらした背景とこれからの展望について綴る。茨城・古河市ローカル企業「丘里」が、コロナ禍にあって店舗規模を縮小して取り組んだこと第1回(この連載は計3回)コロナ禍を振り返って、考えてみよう。「いまだにコロナ禍を語るのは、発想が後退していないか」と指摘する人もいる。しかし筆者は、このシリーズ「いまどきの繁盛店を知る時間」の記事を書いていて、経営者がコロナ前まで日ごろもやもやと考えていたことが、「コロナ禍」という強烈な外圧によって、著しく速く形にすることが出来た、と確信している。 今回から3回にわたって、茨城県古河市で和食店を展開する株式会社丘里(代表/中村泰彦)がコロナ禍にあって経験したことを論述する。丘里代表の中村康彦氏。料理人経営者として、コロナ禍にあって現場の改革を推進した 「女将制度」によって「接客力」のある和食店として定着丘里が商売をしている古河市は人口13万8000人。2005年9月に隣町の総和町と三和町が合併していまの規模の市域となった。丘里は、いわゆる地方ローカルの町の飲食業である。丘里は1971年、現代表である中村康彦氏(62歳)の先代が「洋食・喫茶 丘里」を茨城県古河市内に創業したことに始まる。それを子息の中村氏が88年4月に引き継いだ。中村氏は和食の料理人として、ベルギー・ブリュッセルや東京・赤坂の店舗も経験してきた。その後、家業を継ぐことになり、料理人経営者という手腕をもってクオリティの高い和食店を古河市内でドミナント展開、コロナ前には飲食店を10店舗擁していた。1988年11月、「和食 丘里」をオープンしたが、ここで丘里の「第二の創業」と言える「女将制度」が導入された。以来、各店に「女将」を置き、またこのサポート役も存在する。この制度は飲食店における女性の活躍を推進するもので、女将にお客との関係性構築や店舗運営を任せることで、顧客満足の向上と売上アップを目指している。女性ならではの細やかな気配りや接客スキルを活かして、お客に寄り添ったサービスを行っている。このような「接客力」が、丘里の一番の特徴であり「強さ」と言うことが出来る。それがコロナ禍となり、諸事情によって同社は4店舗に縮小した。中村氏は「かつては成長ではなく膨張に過ぎなかった」と振り返り、縮小した体制の中で、従業員や顧客ともにコミュニケーションを深く取るよう心掛けた。丘里では、古河市内にドミナントで4店舗を経営しているちなみに、丘里が展開する4店舗の中で、旗艦店となるのが「旬 おかさと」である。営業は11時~21時、平日のみ15時~17時の2時間を休業するが、定休日を設けずに営業している。宴会場は最大120人を収容。古河市内の幹線道路に面し、大型バスも駐車可能な駐車場を擁することから(全体で100台駐車可能)、利便性が高くさまざまなお客を受け入れている。月商は1800万~1900万円となっている。このお店の存在が、同社がコロナ禍を乗り越える上で大きな役目を果たした。唐揚げ店に「女将」がヘルプに入り、接客力で売上アップ丘里が得意とするのは「宴会」である。同社のコロナ前の売上は9億円を超えていて、その6割を宴会が占めていた。コロナ禍が深刻化したのは2000年の3月末から。同社にとって、3月4月は歓送迎会のシーズンで、コロナの報道があってから、この間の7000人の予約がキャンセルになった。宴会の客単価は5500円から6000円で、同社の年商の8割がここで消えた。代表の中村氏は、「コロナは3年続く」と想定したという。そこで、この間会社が潰れることがないように、可能な限りお金を借りた。そこで、従業員のリストラは一切行わない、ということで、お店の継続を考えた。同社では、それまで飲食店8店舗と唐揚げ店2店舗を営業していた。コロナになって、まず「人手不足」ということが顕在化した。このとき、飲食店は古河に7店舗、小山に1店舗営業していたが、人材の効率化を考えて小山の店を閉店した。このとき唐揚げ店は同社の持ち味を発揮して、結構売れていた。同社は、「女将制度」が象徴するように「接客力の会社」である。しかしながら、このとき飲食店は、夜8時まで営業、アルコールを出せない、営業自粛などで、接客の特徴を生かすことが出来なかった。そこで、女将をはじめ接客のホールスタッフが、唐揚げ店の営業を手伝った。すると、お客を呼び込むことがとても上手であることから、唐揚げ店の客単価が上がり、売上はコロナ前の130%の状態になった。丘里では「接客力の会社」として知られ、日々切磋琢磨しているしかしながら、このお店の店長が他県にある実家に帰ることになった。そこで、このお店は閉めることになった。唐揚げ店のもう1軒は、このお店を営業したいという人が現れて、譲渡した。 コロナ禍が進み、人手不足があり、売上が出ない店が出てくるのだが、同社ではここで「業績の良い店に、人材も売り方も集中させた方がいいのではないか」と考えるようになった。同社には、2013年にオープンした「旬 おかさと」という旗艦店が存在し、立地的には古河市の幹線道路に面して、市内の中央部にある。人が集まりやすく、フリーのお客様のほかに最大120人の宴会が可能、ということで、ここに人材も売り方も集中させていった。1万円を超える高級弁当が、「お祝いの日」の需要を獲得まず、「旬 おかさと」の隣で和カフェを営業していたが、このお店を閉めることにして、ここの物販の機能を「旬 おかさと」に入れた。すると、この団子やプリンなどの物販が、和カフェの当時よりも売るようになった。また、「寿司のおかさと」というお店を営業していたが、このお店を閉めて、このブランドを「旬 おかさと」の中に持ってきて、テイクアウトや宅配をするようになった。テイクアウトや宅配は、コロナ前から各店舗で行なっていたが、この分野の需要を取り込もうと考えた。それは、これまで同社のお店で法事などを行っていたのが、コロナでお店に行くことができないということで、それぞれの自宅で法事などを行っている。そこに、弁当を届けるということである。コロナで弁当のテイクアウトを始めたお店はたくさんあったが、その価格は1500円、1800円といったものがほとんどであった。それに対して同社では、3000円、4000円、5000円の商品を売り出した。これがとてもよく売れた。同社では「もっと高い弁当をつくっても売れるのではないか」と考えて、6000円、8000円、1万2000円の商品を出したところ、これもよく売れた。これらは「母の日」「父の日」といったお祝いの日の需要を獲得した。このようなことで「旬 おかさと」の売上は、コロナ前の1.3 倍になった。コロナ禍にあって1万円を超える高級弁当を販売したところ、家庭での「お祝い事」の需要を発掘したコロナが落ち着いてから、宴会が戻ってきていることから、高級弁当の需要は多少減ったが、テイクアウトの弁当は減っていないという。同社では「この分野の需要は定着した」と捉えている。また、コロナの間に開発した、冷凍の「たいのかぶと煮」「ぶりかま煮」や「釜めし」「おばんざい」が知られるようになり、同社にとって強い外販商品となった。コロナ期間中に、10店舗から4店舗に縮小していったことから、同社は3期連続の赤字となったが、前期に黒字転換して、今期は前期の2倍の黒字ペースで推移しているという。(次回、9月4日に続く)